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森薫「シャーリー」

2007.03.07 Wednesday 12:14
 どうやら「エマ」の第二期が今春から始まるようなので、記念として紹介を。っても、今さら僕が紹介するまでもないくらいにメジャーな作品ですが。
 えー、唐突ですが思い出話を。
 僕の通ってた小学校じゃ、低学年の頃に定期的に「読書」っていう授業科目がありました。実際に「読書」って科目名だったかはちょっと覚えてないんですけど、要はクラスで図書室にいって、そこで本を借りる手順を学んだり、本を借りたり、読んだ本の感想文を書いたりとかって、そういうことをやる授業だったわけです。で、その授業で僕が初めて借りた本は、「がわっぱ」っていう絵本でした。
 小学2年生くらいでしたから、クラスのほかの連中もまあ、みんな年相応に絵本を借りてったんですが、家に帰ってその本を読んだ僕の感想はズバリ、
「つまんね」
 ってなもんでした。いや、絵本の作者さんが悪かったわけでは当然なくて、ま、なんだ、この当時から僕の天邪鬼は始まってたってことなんでしょう。
 んで、そのために僕の頭の中に”絵本=つまらん”との図式がインプリンディングされてしまい、次回の読書の時間からは僕は絵本なぞには見向きもせず、タイトルに心惹かれるものがあった、ポプラ社の児童向け世界文学全集の一つ、「てっかめん」を借りたのです。いうまでもなくこれは、アレクサンドル・デュマの「鉄仮面」だったんですが。
 いや、これが子供心にもむちゃくちゃ面白くて。子供の読書スピードとしては驚異的なことに、僕はおよそ二日で、結構厚さのあるその本を読了してしまいました。
 それだけでは飽き足らず繰り返し繰り返し、そりゃもう飯を食うのも便所にいくのも惜しむくらいに「てっかめん」に没頭しました。お話が面白かったってのもむろんあるんですけど、たぶんその頃から、僕の逃避的傾向が発揮されていて、物語中のダルタニアン、アトス、ポルトス、アラミスといった登場人物たちが活躍する冒険世界から、一時でも抜けるのが惜しい気持ちが、その作品への執着を生んでたんでしょう。実際、何度も何度も読み返しながら、そのたび、物語のラスト近くになると、
「もうすぐ終わってしまうんだ…」
 というような寂しい気持ちを感じたもんでした。
 幸い、この「てっかめん」には前編、つまり「さんじゅうし」という作品があると知ってそれも借りて読みました。当然それにも没頭しました。つづいて同じデュマという作者の書いた「がんくつおう」という本があることを知り、それも借りて読みました。
 そうなってくると、ついでにポプラ社のシリーズは全部読んでやろうという気になり、実際数ヶ月もしないうちにそれをやってました。最初の読書体験が外国文学だったためか、そのつながりで僕が手を出すのはおおむね外国作品となり、しかも僕の好みは「てっかめん」で刷り込まれた影響で、冒険物に偏ってました。内容がヒロイズムにあふれ、謎や怪奇、スリルやカタルシスに満ち満ちた作品ならいうことなしです。
 となれば、僕がコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズに興味を覚えたのも、必然だったといっていいでしょう。
 まあ、今読み返すとホームズ物は純粋に推理小説として見た場合、相当に粗だらけではあるんですが、古典ってのは多かれ少なかれそういう部分があるもんです。ぶっちゃけ、推理小説としてではなく、銭形平次とかの岡っ引き物と同ジャンルと見たほうが適切なような気もしますし、小学生当時の僕は実際、完全にただのヒーロー小説としてホームズ作品を読んでたように思います。
 ちなみに僕はミステリは、どっちかといったらエラリー・クイーンとかの論理的、構築的な謎解きやトリックに主眼を置いた作品よりは、使われてるトリック自体はたいしたことなくても、巧みなドラマづくりと叙述的トリック、つまりレトリックによって鮮やかに読者を欺く、クリスティなんかのほうが好きです。ただ、高校くらいになるとミステリのミステリたる部分、謎やトリックにあんまり興味を覚えなくなってしまい、結局チャンドラーやロス・マクドナルドみたいな、ハードボイルドのほうに読書の嗜好が向かったわけなんですが。

 …って、なんか横道にそれまくってんな。えーと、つまりですね、メイドについての記事を書いたときにもあからさまに表明しちまってるんですが、割合僕は“19世紀英国文化”っつーもんにこだわりあったりするわけでして。で、その原点はシャーロック・ホームズだったと。
 子供時代に、ホームズ作品に慣れ親しんだためか、ある特定の単語、たとえば“ヴィクトリア朝”とか、たとえば“チャイナ陶器”とか、たとえば“インパネス・マント”とか“ディアストーカー”とか、“クリケット”とか“ガス燈”とか“辻馬車”とか“パブ”とか…まあそんなもんに、ピピッと反応しちまう回路を、頭の中に形成させてしまっとるわけですね。
 それでだ、ようやっと話が「シャーリー」に戻るんですが、そんな僕のハートを鷲づかみにしたのが、森薫作品だったわけです。
 はっきりいって作者の森さんは、お話づくりに関しては不得手な方だなあ、という印象あるんですけど、そこら辺は作品にぎゅうぎゅう詰めにされた彼女の英国文化とメイドへの愛情に隠れて(僕のような同好の士には特に)、さほど気になりません。
 特にこの「シャーリー」に収められている三編は、どれもスケッチ的な短編で、これといってひねったドラマ展開なんかもないため、「エマ」よりもストレートに作者の趣味が反映され、純粋にその雰囲気を楽しむことができます。
 収録作品で僕が一番好きなのは、「メアリ・バンクス」ですかね。ほか二編も愛らしくて好きなんですけど、気が強くてクールなメイドのメアリと、ウィリアム坊ちゃまがもうちっとばっかし図太くなったような執事のエリック、それに変わり者の糞じじい的愛すべき大旦那様、ボールトン子爵の、ユーモラスで、かつ成熟した関係が、なんともいい感じで。
 これ、もし続編とかつくられたら、大旦那様の死後、別の屋敷で働くことになったメアリとエリックの間に愛情が芽生えて…ってな感じになるのかもしれませんけど、不思議とそういうのは読みたくないですね。
 19世紀のイギリスでの男女関係が実際にどういうものだったかは、むろん僕にはわからないことなんですけど、この「メアリ・バンクス」で描かれているような、三人が三人ともそれぞれに自立し、しかし互いを必要とし、表にストレートには出さないものの信頼と愛情と尊敬の念を抱いている、って関係は、ともすると出会って一時間もしないうちに相手を「おまえ」呼ばわりしたり、一週間後には同じベッドに入っていたりしかねない、現代の緊張のない(それゆえに面白味に欠けた)男女関係と比較した場合、実に慎ましく清潔で、粋に思えます。もちろん、そこには時代による抑圧があったんでしょうが。
 だから、もしこの短編で大旦那様よりエリックのほうが前に出てきて、メアリと恋愛どうこうみたいな展開になってたら、興醒めとまではいかなくても、なんかこう、粋さに欠けてたんでないかな、と個人的には思います。二人のロマンスをニュアンスのみに留めた結び方は、上品で非常によろしかったんじゃないでしょうか。

 あとがき漫画を見たところ、「シャーリー」は作者の商業デビュー以前の同人作品を集めたものらしく、ご本人はえらく恥ずかしがってるようなんですが…いや、ま、技術的な拙さは新人の頃には当然のこととして、この短編集に表れている、とにかく描きたいことを描きたいまま描いてやったぜ! 的作者の情熱や瑞々しさ、作品世界やキャラクターへのあふれんばかりの愛情とこだわりは、できればいつまでも失ってほしくないなあ、と思ったりします。





↑ホームズ役はやっぱりグラナダTVドラマの、故ジェレミー・ブレットが最高だよな、と思う管理人に拍手をよろしく頼むよワトソン。


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