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2011.03.22 Tuesday

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映像作品における音楽の表現、または音楽そのものについて・6 〜続々・音楽個人史〜

2007.02.05 Monday 00:15
 ポール・ウェラーの初のソロ・シングル、「イントゥ・トゥモロー」はFreedom Highという、インディー・レーベルからリリースされました。ザ・ジャム、ザ・スタイル・カウンシルと、二度までもトップに登りつめたグループをひきいたミュージシャンの再スタートとしては、信じられない話です。
 さらにその後のライヴも、以前では考えられなかった小さなホール、ライヴハウスでの活動ばかりとなり、スタカン時代末期、リリース予定だったハウス主体のアルバムがお蔵入りになるなど、すでにその兆候はあったにせよ、ウェラーはもう音楽シーンのメイン・ストリームからは外れ、完全にマイナーな存在になっていたようです。年齢的にも30歳を過ぎ、一介の新人ミュージシャンのように、もう一度キャリアを積み上げ直すには、明らかに大きなハンデを背負っていました。

 つづくファースト・ソロ・アルバム、タイトルもそのままな「ポール・ウェラー」も、本国イギリスではたいしたセールスを上げられなかったみたいです。日本では根強い彼のファンが多かったためか、本国より売れたようですが、それでメジャーへカムバックとは、当然いきませんでした。
 ザ・ポール・ウェラー・ムーヴメントの始動を伝える記事を読んだときから、心待ちにしていた僕は、むろん、ファースト・シングルが発売されるや否や手に入れ、聴きました。やはり、というか、ジャム、スタカン時代とはまたスタイルを変え、より黒っぽく、泥臭ささえ感じさせる音楽、スタカン末期の混迷を払拭するかのような、本来のウェラーのポジションである、ストリート・ミュージックに立ち返ったダイレクトな熱気と力が、そこにはありました。
 とはいえ、なにかそこに悪あがきのような、なんとかもう一発花火を上げようとするかのような、空回り感を感じたのも事実です。満を持して、というより、誰も期待してないのに…という印象のほうが、当時のウェラーの音楽活動再開に対する大多数の人々の実感としては、近かったんじゃないでしょうか。
 僕はといえば、予備校に通う毎日がつづいていました。自分でも意外だったんですが、予備校じゃ一応、私大志望クラスでは一番上のレベルのクラスへの編入となりました。しかし、講義を聞いていてもあんまり頭に入らず、模試の成績もパッとしません。勉強は真面目にやってるんですが、たいして効果も上がらないし、結果にも反映されていないように思えました。
「なにが悪いんだろう?」
 ずっとそう思いつつ、わからないまま、とにかくほかの予備校生同様、講義についていくことだけ専念していました。
 高校時代に友達が一人もいなかった僕は、予備校でも孤独でした。気がつくと、家族以外の誰かと言葉を交わすことがまったくない、という日が多くなっていました。この当時の僕は、自分でも生きているんだか死んでいるんだかよくわからない、ただ毎日、飯を食って勉強して排泄して寝るだけの、決まった動作を繰り返す機械になったような状態でした。
 そんなあるとき、予備校の食堂で黙々と問題集を消化していると、突然、背後から声をかけられました。
「おまえ、mementoだろ? おまえも浪人やってたのかよ?」
 それは、中学時代の僕の友人、Tでした。
 中学の頃、僕は音楽も好きだったんですが、推理小説にはまっていて、何人かの友人に読んだ本の内容を聞かせ、犯人当てをさせる、というような遊びをやってました。自分がなにかに熱くなったり夢中になったりしやすい性格だからか、その熱気が伝染したみたいに、仲間はクラス内に一人また一人と多くなってきて、一種のサークルのようになったんですが、Tはその一番最初の仲間の一人でした。
 Tに再会したことがきっかけとなり、僕は徐々に予備校内に友人を得ていきました。まず、そのTの高校の友人というM。こいつは重度のアニオタで、遠目から見てもすぐにそれとわかる容姿とファッションセンスの持ち主でした。僕は中学の頃にアニメに興味を持ったものの、高校時代はほかのことにかまけて、そっち方面は疎くなっていました。が、このMが、嫌がる僕に無理矢理アニメのビデオやら、お奨めの漫画やら(当然、ものすごくオタ色の強いものばかりです)を押しつけたおかげで、そっちにふたたび首を突っ込むこととなり、おかげで勉強する機械だった僕の生活パターンは著しく乱されました。こいつの存在が、その後の僕の趣味嗜好に大きな影響を与えたことはいうまでもありません。
 さらに、予備校の同じクラスにいたW。TやMとは違う経緯で友人になった彼ですが、三浪しているとのことで当然僕より年上、しかも、生まれつきか事故か病気かは知りません(訊いたことがなかったので)が、身体に障害を持ち、いつも片足を引きずっていた男でした。そういう彼ですが、奇妙にすっきりとした、イノセントなところがあり、比較的アクの強い僕らが、仲間内でくだらないことをダベったり、ときには口論することがあっても、黙ってニコニコ笑いながらそれを眺めている、というようなタイプでした。
 そのWに、僕は相談したことがあります。
「講義を聞いて、ちゃんと真面目に勉強してるのに、なんか今いち効果が見えないんだよなあ(二つも年上の相手に対して、僕はタメ口利いてました)」
「講義って全員のものだから。mementoはたぶん、そういうの向いてないんじゃない? 自分なりのやり方でやったほうがいいかもね」
 考えてみると僕は、高校のときまでその、“自分なりのやり方”でもって天邪鬼になっていたわけですが、浪人になってからは、すっかりそれを忘れてしまってました。それまでの天邪鬼ぶりで損をしたこと、失敗したこと、なくしたことも多かっただけに、どうしても人と同じようにやったほうがいいんじゃないか、そのほうがリスクも少ないんじゃないか、という気になっていたのです。
 もう一度天邪鬼になってみようか…そんな気持ちがわずかに芽生えたものの、失った自信はなかなか戻らず、踏ん切りのつかないままでした。
 そんな折り、ザ・ポール・ウェラー・ムーヴメントのライヴ・ビデオが発売されると聞き、僕は期待と不安を半々にしながら、それを手に入れ、見たのです。

 ライヴで演奏されていた曲は、ジャム時代からは「プレシャス」「カーネーション」「ザッツ・エンターテイメント」、スタカン時代からは「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ」…ちょっとうろ覚えですけど、そんな感じだったと思います。そしてソロになってからの新曲として、「イントゥ・トゥモロー」はもちろん、「ラウンド・アンド・ラウンド」「コスモス」。
 はっきりいって、「イントゥ・トゥモロー」以外の曲は、スタカン・テイストをまだたぶんに引きずっている感がありました。が、まずヴィジュアルとしてウェラーが、ジャム時代の象徴だった赤のリッケンバッカーを、弦も切れよとばかりにかき鳴らすのを見て、そして「コスモス」のサビを声を枯らしながら歌うのを見て、次第に僕の中に心境の変化が訪れるのを実感しました。
 次の日から僕は、講義に出るのをやめました。
 代わりにやったのは、自習室にこもって、過去問集を片っ端から暗記することでした。解くのではなく、答えをさっさと見てしまって、問題ごと覚えるのです。試験の出題パターンというのは割合見え透いていて、限られた時間の中で効果を上げるには、それが効率的に思えたからです。
 そうやって過去問をやってると、さらに効率を上げる方法が見えてきました。たとえば英語だと発音問題なんかは配点が低く、手間と効果を考えたら、まともに勉強するのは馬鹿らしく感じられました。そういう問題はバッサリ切り捨て、配点の高い長文問題に、やはり丸暗記方式でとり組んだわけです。ようするに僕がやったのは“勉強”ではなく、“試験に勝つための研究”とでもいうものです。
 とはいえ、効果はちゃんと表れ、ほどなく僕は模試では上位の成績を収めるようになりました。努力が成果となったことで、僕は目の前の霧が、ふいに晴れていくような気分を覚えました。
 志望校受験の日のことは、意外とあまり記憶がありません。淡々と受験して家に帰っただけだったと思います。帰り道に寄った本屋で、SFの文庫本を一冊買ったくらいでしょうか。
 やがて合格通知がきても、正直これといった感慨もありませんでした。なにしろその頃には、ポール・ウェラーのソロ・アルバム発売と来日ツアーのニュースで、それどころじゃありませんでしたし。
 ライヴには絶対いこう、と心に決めていました。幸い地元に近いホールでの公演が予定されていたので、さっそくチケットを買い、当日は時間前から気もそぞろに並んで開場を待ちました。
 てっきり僕は、あのライヴ・ビデオのように、ジャムやスタカンの曲を一曲くらい演るのだろうと思ってたのですが、ウェラーは演りませんでした。それは彼が、今どんな状況にあろうと、先行きが見えなかろうと、ソロ・アーティストとして腹をくくる…“ポール・ウェラー”として進むことの宣言のようにも思えました。

 それ以降のウェラーの歩みについては、多くを語る必要もないでしょう。彼は二度目のカムバックを果たしました。ファーストこそ不調だったものの、二枚目のアルバム「ワイルド・ウッド」で早くもUKチャートの二位にランクインし、三枚目、「スタンリー・ロード」では堂々トップの座に返り咲きました。その後もアルバムを発表するたび好成績を収め、ソロ活動15年を経た今では、UK音楽シーンの重鎮ともいうべきポジションにいます。
 オアシスのノエル・ギャラガーが、
「僕らの時代にはすでにビートルズはいなかったけど、代わりにジャムがいた」
 ということをいっていますが、これは僕にとっても同じです。僕はジャムもリアルタイムでは知らなかった世代ですが、代わりにスタイル・カウンシルがいました。そして今ではポール・ウェラーがいます。過去形で語られることなく、現在進行形で歩みつづけるアーティストである彼が、中学、高校、浪人時代の間ずっとそうであったように、
「おまえにはできることがあるはずだ!!」
 と、今も僕を叱咤し、僕の背中を押しつづけてくれます。それだけ僕が成長していないということかもしれないし、逆に、僕の成長はウェラーとともにあった、ともいえるかもしれません。
 昨年発売されたウェラーのライヴ・アルバム、「キャッチ・フレイム!」はソロの曲にジャムやスタカン時代の曲も加えた、ライヴ・アルバムであると同時にベスト盤的な、もっというならポール・ウェラーの集大成的アルバムでした。これを聴いたとき、特にラストのほうで、彼を初めて知るきっかけとなった、「シャウト・トゥ・ザ・トップ」のアレンジ・ヴァージョンを聴いたとき、僕は自分の子供時代から今までを振り返って、あれからずいぶん遠いところまできたもんだなあ、でも、あのときから今までの時間は、ずっと途切れることなくつづいているのだ、という感慨を覚えました。
 変化を恐れず前へ進むスタイルを、今も保ちつづけるウェラーと、はたして同じかはわかりませんが、僕も、あれこれ迷ったり自信をなくしたり心変わりしたりしながら、でも結局は、天邪鬼野郎な僕でありつづけるのでしょう。

 ポール・ウェラーが、まるで自らを歌ったかのような曲があります。タイトルは、「ザ・チェンジング・マン」。
 そのタイトル通りであると同時に、逆説的な意味でもやはり、それは彼自身の歌だといえるでしょう。





↑「音楽個人史」はこれにて完結。おつき合いくださった方、ありがとうございます。ついでによろしければ拍手を。


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2011.03.22 Tuesday 00:15
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コメント

今晩は!突然失礼します。

my ever chenging moodsの訳詞。
ずっと大好きな曲だったけど何を唄っているのか全く知らずにいましたが、今夜、ふと、・・・で?どんな事を唄っているんだろう?と調べたらこちらのサイトにヒットしました。
訳詞が素晴らしくて、そしてそれと同じ位、この個人史グログに何か共感してちょっと感動してしまいました。
最近書かれてないようですが、また楽しみにしています。

ソラリス
| solaris | 2011/09/25 12:20 AM |

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