Speak Like a Child

世の風潮も時代の流れも無視して、ただ思うままくっちゃべる徒然ブログ。

スポンサーサイト

2011.03.22 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -

映像作品における音楽の表現、または音楽そのものについて・11 〜ザ・ブルー・ナイル〜

2009.01.04 Sunday 11:53
 以前に紹介すると予告しておきながら、ずっと放置していたザ・ブルー・ナイルです。
 しかし、このバンドが彼らの熱心なファンの期待をずっと放置しっぱなしなのに較べたら、まだいくらかマシじゃないかなあ、とか思わなくもなかったりして。
 位置づけ的には、前にとり上げたことのあるプリファブ・スプラウトに似ています。ミュージシャンズ・ミュージシャンと呼ばれていることも、デビューからおよそ四半世紀で、総リリース・アルバム数がなんと4枚きりという、超寡作っぷりも。
 けれど、そのわずかな数の作品が、どれひとつとしていいかげんに聞き流すことのできない、静謐さと色褪せない輝きを孕む珠玉の名品揃いであることは間違いありません。

 僕が初めてブルー・ナイルに出会ったのは、まだ福岡にいた頃、今はもうない天神AREA DUEXビル内の輸入レコード店、「タワーレコードKBC(後に「Tracks」と改名)」で、彼らのファースト・アルバム、「A Walk Across The Rooftops」のCDジャケットに目を止めたときでした。
 当時は当たり前ですけど、音源のデジタル・コピーの手段が一般に普及しておらず、日本のレコード・レーベルが著作権保護に今ほどヒステリックになってもおらず、音楽レコードの環流防止措置の施行で海外盤の輸入に規制の手がかかるかもしれない、との危機感からも縁遠い時代でした。
 おかげで音楽好きにとっては…特に中学高校当時の僕みたいな、金のない音楽マニアにとっては、輸入盤屋は安価にレコードを入手できる宝庫であり、日本ではまだマイナーなミュージシャンやレコードに出会えるかもしれない、ってことで、情報入手のためにも足繁く通わなくちゃいけない場でした。そうした場であった輸入盤屋の価値に、なんのはばかりもない時代だったわけで。
 まあ、管理人もご多分に漏れず、今じゃほとんどの音楽をMP3化してPCで聴いてる身なんですが、多少なりともレコード、CDなるものに愛着があったのは、やっぱCCCDなるものが出てくるまでだった、っちゅーことになりますかね。あれがきっかけで、ぶっちゃけ日本の音楽レコード文化、CD文化が衰退に向かうようになったってのは、アニメ関連のCDしかよう売れないって現状からも、わかることだと思うんですが。
 それはともかく、キーを何回か叩けばあっというまにネットから情報の閲覧が可能で、情報なるものが誰に対しても門戸を開いてる分、その価値もいささか平準化、均一化されちまってる昨今と較べ、僕がティーンだった頃には、情報とは公共空間に置かれたそれに“アクセスする”ものではなく、放っておいたら誰の目にも触れられないかもしれないがゆえに、“発掘する”ことに価値のあるものでした。つまり、自分の手と足を使って探り当てるものであり、そうやって努力の末に手に入れた希少な情報は、ある意味発掘者の個人的なお宝だったわけで。んで、そのお宝の希少さや貴重さに応じては、同好の士からの尊敬と羨望を獲得可能だったりもして、それがマニアのステータスにつながっていた、ってのはあります。
 ってことで、
「おまえ、このバンド知らねーの?」
 と、仲間内で痛い自慢をする目的のために、毎日輸入レコード屋をハシゴする、痛い音楽ファンに、僕も入ってたんすね。
 しかし、ネット普及以前でAmazonレビューなんか当然なかった時代、海のものとも山のものともつかぬ輸入レコードが、はたして自分の趣味嗜好に合うかは、買って聴いてみるまではわからないことが大半でした。や、もちろん店頭で試聴できりゃいいんですけど、店のリコメンドは、すでにある程度話題性や知名度が付加されてる類が多いので、できればまだ誰も知らないようなマイナー盤を発掘して、優越感に浸りたい僕的には、そういうのは手控える傾向にあったわけです。つか、いいわけがましくなりますが、そういう見栄坊な音楽ファンは結構な数いたんじゃないかなと。
 だからして当時の音楽マニア、輸入盤マニアは、店頭での“ジャケ買い”の直感力を自然と鍛えられていった、というのはあるでしょう。僕なんて中学高校の頃は、昼飯抜いてその金を映画代に当ててたくらいだったから、そら、必然的にレコードの無駄買いなどには、神経を尖らせざるを得なかったっすよ。

 そうした懐事情により鋭敏化された眼力のおかげもあって、“アシッド・ジャズ”なんて言葉が巷で流布される以前、The Players以前のミック・タルボット&スティーヴ・ホワイト(元スタイル・カウンシルってことで目をつけたのもあるが)やジャズ・ディフェクターズ(あんまり気に入らなかったけど)を知ったり、カーディガンズの世界的ヒットでスウェディッシュ・ポップ・ブームが到来する前に、アトミック・スウィングを知ったりと、リスナー的にジャケ買いでいい思いをしたことは、実際少なくありませんでした。
 ま、しかし、それなりにリスクを伴うジャケ買い行為で、僕的に最大の収穫だったのは、断言できますが、ブルー・ナイルを知ったことだったでしょう。
 ここで、ザ・ブルー・ナイルについて若干の解説を。メンバーはスコットランド、グラスゴー出身の三人、ポール・ブキャナン(Vo&G)、ロバート・ベル(B)、ポール・ジョゼフ・ムーア(Key)。音楽的なジャンルは…ごめん、分類はできません。あえていうなら、スティーリー・ダンを彷彿とさせる、ロック、ポップスをベースにしつつ、それらにとらわれない独特かつ高度にテクニカルな音楽、ってなところでしょうか。けど、スコティッシュだからなのかなんなのか、あちらよりも濃厚にリリカルにしてセンティメンタルです(「センティメンタル・マン」って曲もあるくらいだし)。
 初めて聴いたときには、
「シンセ使って、こんなにアコースティックな音を出せるバンドがあったんだ」
 と衝撃でした。それから20年以上、いまだにその衝撃が薄れない…どころか、むしろ純化されていったのは、ほとんど奇跡としか思えません。
 このバンドに関しては、ゴチャゴチャ賢しい解説なんて一切不要、とにかく一聴してくれ、と激しくいいたいんですけど、余分な言葉を添えるなら、無駄をひたすら削ぎ落としたストイックな、決して華やかじゃないけど、いつまでも色褪せない輝きを放つ宝石のような音楽、というべきかなと。ストイックなのは確かですが、それだけではなく、ブキャナンの渋く、ソウルフルなヴォーカルは、心の奥の郷愁を掘り起こす詩情に満ちてます。
 どの曲が好きか? って訊かれたら、全部が好きだ、と答えるしかないんですが、それでもあえて一曲を選ぶとすれば、傑作アルバムの評価も高い2枚目の「Hats」収録の、「ザ・ダウンタウン・ライツ」かなあ。いや、同じアルバムでは「オーヴァー・ザ・ヒルサイド」や「サタディ・ナイト」、「レッツ・ゴー・アウト・トゥナイト」も好きなんですが…って、つまりほとんどの曲が好きだって話になりますが。
 ただ、ありふれてはいるけれど、かけがえのない日常への愛情を歌った「ザ・ダウンタウン・ライツ」は、聴き返すたびに胸が詰まるような、反対になにかから解き放たれるような、なんともいい難い感慨を覚えます。

   時々僕は街を歩いていく
   そうしたいと思うならいつでも
   君を正面から愛し 抱きしめよう
   言葉にできるのはこれくらいだけど
   誰もこんなふうに 君を愛せはしない
   きっとこれでいい
   君にも見えるだろう?
   あの街の灯りが

 正月三が日を実家の福岡で過ごした管理人は、中学の頃の友人たちと、久方ぶりに会って、彼らといっしょに天神や西新を散策しました。お盆に一回帰っているのですでに知っていたものの、タワーレコードKBCはすでになく、もうひとつの僕の拠点であった中古レコード店も、ビルごと消えていました。
 高校の頃にバイト仲間とよくいっていた、安くてうまいチキン・カツカレーを食べさせてくれる西新のカレー屋も、普段は姿を見せないのに、たまに自ら調理場に入っては、やたら熱心に食え食えと客に勧めるオーナーのいる、いきつけのお好み焼き屋(厚さ2センチほどもあるものすごいボリュームのお好み焼きだったから、食べ盛りにはありがたかったです)もなく、大学進学後に地元に帰省した際、予備校時代の友人たちとよく過ごした親不孝通り(今じゃ親孝通りなんてつまらない名前に改称されてるみたいですが)の喫茶店は、どこぞへ移転になった後で潰れてしまったそうです。
 その喫茶店には、予備校仲間の後輩で、熱狂的なオルタナ・ロック・マニアの男に朝食をおごらされた挙げ句、カート・コバーンはカート・コベインと発音するのが正しいんだと、朝の8時から説教されたという苦い思い出があるんですが、まさかそれから数年後、そのコベイン氏が自ら命を絶つなどとは、当時は夢にも思ってませんでした。
 南区からチャリで通った映画館の数々も、なくなるか様変わりしてしまいました。僕が高校生だったのは、ちょうどミニシアター全盛の頃で、お気に入りだった「KBCシネマ北天神」は、名前と場所を変えて今ではシネコンになってます。
 もうひとつのお気に入りの、「シネテリエ天神」は健在だけど、あの、人ひとりがやっと通れる狭い出入り口の脇にあったゲーセンは、コンビニになってたし。上映までの待ち時間に、あそこでよく暇を潰したっけなあ。せっかく買ったヴァネッサ・パラディの来福公演のチケットをなくして、青ざめたのもあのゲーセンだったっけ。その後、突然公演中止になって、複雑な気分になったけど。
 自分がそこにいたという痕跡を探すのも難しくなった街を歩いていて、僕はふいにいいようのない違和感に襲われ、そしてそのとき、無性にブルー・ナイルを聴きたいと…時間を経ても変わらないものがあるという、なんらかの確証が必要だと感じたことを覚えています。
 バリー・レビンソン監督の「わが心のボルチモア」という映画に、
「こんなになにもかも変わってしまうのだったら、もっと深く記憶に刻みつけておくのだった」
 という、主人公の台詞があるのですが、それが一瞬脳裏に蘇り、しかし次には、その映画を見たのがどこの映画館だったか…天神のソラリア・シネマだったか、中洲の映画街だったか…思い出せない自分に気づいて、しばし呆然としました。
 日が暮れて辺りが暗くなり、よそよそしくなった街の景色が夕闇に隠れる頃、ふと目を上げて見た出会い橋からの夜景に、記憶の情景が重なって、ようやっと過去と現在が自分の中でつながり安堵した、ってのが本当です。
 確かに、わずかではあっても失われないものもあるのでしょう。だったらそれでいい、と、そのとき僕は自分自身に呟きました。

   今夜も それ以外の夜も
   この空っぽの通りを歩いていこう
   冷たい夜の光の中を歩いていこう
   良きにつけ 悪しきにつけ
   いつも僕の傍らには
   あの街の灯りがある

 最新アルバムの「High」のリリースが2004年、その前の「Peace at Last」が96年だから、次のアルバムまで後3、4年は待たされるのかもしれないけど、このバンドに関してはそれでもいいや。ブルー・ナイルが変わらずブルー・ナイルでありつづけてくれるのなら。
 ところで、上でCCCD絡みで日本の音楽レーベルに文句いったりもしてますが、ファーストこそ未リリースなものの、「Hats」からこっち、律儀にこのバンドの国内盤を出してくれるBMG JAPANには、素直に感謝と敬意を捧げたいと思います。決して馬鹿売れするようなグループじゃない上に、アルバム・リリースの間隔も、数年またぎが普通だってのになあ。しかも「High」にはファン垂涎の、デビュー・シングルが収録されてるし。
 こういうレーベルの活動を見ると、日本の音楽業界もまだまだ捨てたもんじゃないな、とか思ったりします。





↑宇多田ヒカルもファンだそうです…へぇ。まあとにかく、よろしかったら拍手でもどうぞ。





音楽 | comments(1) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

2011.03.22 Tuesday 11:53
- | - | -

コメント

 最近ブルーナイルばかり聞いていて、検索をかけたら辿り着いた20代です。ブログの文章の巧さと感性に感心して思わずコメントしたくなりました。
 ブルーナイルの音楽性の高さに惚れぼれしながら毎日聞いてます。あんな静かな曲で心が高揚するバンドはたまにしかいない気がします。出会えて良かったと、僕も思いました。
| 通りすがり | 2009/02/05 11:18 PM |

コメントする










この記事のトラックバックURL

http://memento01.jugem.jp/trackback/321

トラックバック