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岩本ナオ「町でうわさの天狗の子」

2008.07.20 Sunday 14:24
 デビュー作から外れなしの岩本ナオ作品ですが、先日、待ちに待ってたコミック第2巻が発売されたんで、勢い込んで紹介させていただきます。
 田舎を舞台にしたお話は岩本ナオの十八番ですけど、これもそのひとつ。緑峰町(りょくほうちょう)という小さな町の、タイトル通りにその町でうわさになってる…どころか当たり前に存在が認知されてる天狗の娘、刑部秋姫(あきひめ。天狗ネームは緑峰山太郎坊秋姫)が主人公。
 彼女のお父さんの康徳(こうとく)坊様は緑峰山の山の神である、ほんまもんの天狗様なんですが、おかげで彼女は2トントラックを軽々持ち上げるほどの怪力と、高校1年生の乙女にあるまじき尋常でない食欲の持ち主です。それら以外では人間であるお母さんのもとで暮らしてたからか、いたって普通の女の子なんですが。また、本人も天狗になるより、普通の女の子として暮らすほうを望んでるんですが。
 ごく普通の女の子らしく、中学のクラスメートで天然系モテモテ男子の神谷タケル君に恋をし、彼を追っかけて高校へ進学した彼女は、しかし、娘溺愛の康徳様の差し金により、期待いっぱいの高校生活に監視がつくことに。監視役は天狗になるべくお山で修行中の幼馴染みの榎本瞬(緑峰山次郎坊瞬)。彼にしつこくお山に入って天狗になれとせっつかれ、さらには家系のためなのか、タケルの周辺に謎のもののけが出没したりして、秋姫の高校生活は期待通りにはいかないところもあるものの、友達もでき、念願だったタケル君とのおつき合いも実現され、ついでに、なんでか微妙に瞬のことも気になったりもして…ってな感じでお話が展開されます。主人公が天狗の娘なんつー目先の変わった設定ですが、基本はきっちり少女漫画っすね。
 妖怪やもののけが登場する作品、それも現代を舞台にした作品じゃ普通、主人公が人外のものだったり人外たちと関わりがあったりというバックグラウンドは、周囲に秘密にされるべき“弱み”として設定されるもんです。また、そういう“弱み”を持ってるから主人公は妖怪、もののけの存在を受け入れない人間社会では孤立して、孤立することで主人公としてのポジショニングが成立したりもするわけなんですが。
 でも、この「天狗の子」の主人公である秋姫は全っ然、これっぽっちも孤立なんてしてねーです。町では彼女が天狗と人間のハーフであることは周知の事実だし、町から離れた高校に通うようになっても、秋姫がそういう子だってのはえらくあっさり、ナチュラルに周囲に受け入れられてます。
 まあ、怪力や大食いは秋姫の望んでる、“普通の女の子”の生活にはハンデなのかもしれないけど、もともと天狗やその眷属(瞬と共に康徳様にお仕えする三郎坊、四郎坊以下の天狗見習いは、狐や狸といった、人語を喋り人の姿に変化する、修行を積んだ獣たちです)とご近所づき合いする日常が、町の人たちにとっては当たり前の光景になってる世界なんですよね。
 こういうのをファンタジーというんでしょうが、岩本作品の特色である、舞台となる田舎の生活のリアリティ(たとえば、ホームセンターが町の唯一の娯楽施設になってるらしいとかいった描写)のおかげで、実際にこんな町が日本のどこかにあるんじゃないか、と読者に思わせかねない辺り、なかなかいい感じです。コミック1巻の帯で羽海野チカ先生もいってますけど、僕もこういう町に住んでみたいっすよ。

 もともと妖怪が出てくるお話は大好物なんですけど、これ読んでると僕は、作品に関する考察どうこうといった賢しげなこと放棄して、単純にミーハー的に楽しみたくなっちまいます。
 秋姫はタケルと瞬のどっちとくっつくのか(表紙やトビラ絵ではいつも瞬とのツーショットだから、そっちかなあとも思うんですが、岩本作品がしばしばセオリー通りに落とさないのは「Yesterday,Yes a day」で先例できてますし)とか、ミドリちゃんの好きな人って当初は瞬かと思ったけど、やっぱあの生徒会長なんだろうかとか、赤沢ちゃんと三郎坊の今後はどうなるとか、瞬と紅葉の関係はどうなんだとか、んなことを、30過ぎの野郎がまるで小娘のごとくウキウキワクワクしながら見守っとるわけですな。そういうふうに理屈抜きで作品のただのファンになっちまえるのは、たぶん岩本さんの描くキャラクターの自然さや嫌みのなさに、自分の波長がぴったり合ってるからかもしれません。
 単純に好みの問題とはいえ、僕はどっちかったら、あまりに戯画化の行き過ぎたキャラクターは、それがたとえ漫画であってもちょっと受けつけないほうです。
 それなりに人間への洞察ってもんができてる作家は、“一寸の虫にも五分の魂”ということを知ってて、だから定型的に把握してしまえる奥行きのないキャラは登場させないし、定型的な描写はなるべく避けるもんです。物語というのは誇張なしでは成立しないもんですけど、“人間”を描くのに配慮する作家であれば、その誇張はほんのちょっとのレベルに留めておくのが通常でしょう。ほんのちょっとを過ぎると、キャラクターは“人間”から離れて記号になってしまう…“五分の魂”があるってことを、受け手に感じさせない戯画になってしまうからで。少女漫画は特に、登場人物たちの心の機微を描くことが、ある意味では命だったりもしますから、下手な戯画化やあからさまな定型化は、そのせいで作品を台無しにしかねないところがあります。
 その辺り、「Yesterday,Yes a day」での小麦と多喜二の関係なんか、恋でもなく友情でもなく、孤独を埋め合わせるために利用し合っている功利的な関係でもなく…同時にそれらが複雑に入り混じって、当人たちが痛みや後ろめたさを覚えるような、定型化しきれない、微妙で味わいのあるものでした。また、その描写がふたりの心模様に直接光を当てるのではなく、淡い色のレンズ越しに、優しく柔らかく照射するといったような、デリケートでセンシティヴな描き方だったのがね…「天狗の子」はあっちよりエンターテイメント寄りですけど、定型化を避けてるっぽい点は、やっぱり共通するものを感じます。
 おそらく岩本さんって、ベタを恥ずかしがる人なんだろうと思うんですけど、この作品でも、ほかの作家だったら感動シーンで落とすだろうなと思える箇所で、あえてギャグに落とす辺りに、ベタを回避する羞恥心みたいなもんが窺えるというか。キャラ造形的にも、ありがちな少女漫画では紅葉なんかは腹黒女にされやすいんですけど、どうやら普通にいい子らしいですし。
 後、変な話ですが、少女漫画なのに金田一みたいな不細工な女の子がちゃんと出てくるってのもね。彼女や西城とかいった濃いキャラが脇に配置されてるのは、自分の願望をベタに表に出すのにあんまし恥ずかしげないタイプの作家が、しばしば美男美女ばっかり出したがるのとは対照的に思えたり。こういう部分も個人的には波長が合うかなあ。

 個人的といえば、この作品で描かれる人間と天狗との関わりの“当たり前さ”には、個人的にすげー羨望を覚えるんですが。
 文献によれば天狗という存在はそもそも、山という場所、その自然環境の特殊性や天候の変異等といったものが、平地に住む人々にとっての異界として認識され、それゆえに山は聖域であり魔境であったことと関係してるらしいです。修行といえば山籠もりってのは、山は霊気に満ち満ちた別世界だからってことで。
 天狗が古来より山伏の姿で描かれるのも、山で修行する行者はある意味、妖怪や神様と同一視されるからという…ってことは神道的に神様と人と妖怪とには、一神教的な絶対の区分なんぞはないってことになりますな。管理人の実家のある太宰府じゃ、れっきとした人間の菅原道真が天神様として祭られてますし。てか、道真公って死後は怨霊となって京に災厄をもたらした、割りと迷惑なお方なんですが。
 日本じゃ聖も俗も魔も混在してるか、境界はあっても山とそのふもとみたいな近しいところで隣接するのが、自然な在り方であり生活であり思想であったわけですが、こういうのに限りなく僕が憧れるのは、霊感ゼロ人間だからなのかもしれません。
 まあなんだ、2巻でやってた体験修行道みたいなイベントに、天狗/人間関わりなく共同参加する風習がかつてはあって、そういう場で出会った天狗やもののけと人間との間に友情やらロマンスやらが生まれることが、昔の日本には本当にあったんじゃないか、あってほしいというような気持ちが僕にはあるわけでして。だからして僕的には狐の三郎坊と赤沢ちゃんのロマンスはじゅうぶんにアリです。そういうことが“当たり前”なこととして受け入れられている環境は愉快じゃないかと思えるんですよね。天狗や妖怪を駆逐してしまった近代文明が、人や生活を均一にフラットに無色無個性にしてしまった現代では特に。
 この「町でうわさの天狗の子」の面白さって、ストーリー構成やキャラの魅力に負うところが大きいのはもちろんですけど、天狗という異形の存在の、その異形っぷりを大げさに強調してみせないセンスや、ズレた存在もおおらかに認めてしまおう的な、ユルさやユーモアの部分が、結構な割合占めてるんじゃないかと感じられます。
 登場人物もいろいろとズレてたりユルかったりするやつらばっかだしねえ。天狗娘としての異能力のみならず、恋愛における妄想力に尋常でないものを持つ秋姫、彼女のつっこみ役である辛辣なミドリちゃん、上でもいいましたが、男受けがいいために通常悪者に設定されやすい“天狗界のパリス・ヒルトン”天然娘の紅葉や、“恋のハムラビ法典”赤沢とかも、悪意のないいいキャラだし。
 男のほうも、秋姫に対する粘着質な意地悪っぷりと、普段のキャラに似合わん天狗マニアっぷりが冴える次郎坊や、イケメン・モテ男のくせして、彼女が家にくるときに門松プリントのTシャツ着てるような隙ありすぎの王子様のタケル、娘にCanCamの専属モデルになれるとかたわけたことおっしゃる、意外と文明的な生活されてるらしい康徳様など、愉快で印象的な連中が揃ってますし。まあ、一番印象的なのは西城と金ちゃんなんですけど。
 とにかく、天狗だ妖怪だとかは抜きにしても、文句なしに楽しいお奨めの作品ですんで、よろしければぜひご一読を。
 しかし、2巻読み終わったばっかだというのに、もう3巻が待ち遠しいってのは困りもんだよなあ。掲載誌のフラワーズが月刊誌だから、早くても刊行は半年以上先になっちゃうしなあ。





↑岩本作品のギャグのセンスが好きな管理人に、どうぞ拍手でも。





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