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RD 潜脳調査室 #12「光のない朝」

2008.06.27 Friday 15:41
 冒頭、ミナモが自殺を止める場面でなぜか可符香を連想してしまった俺は人としてどうなのか。あれで止められた女の子のほうが、
「死んだらどうする!?」
 とかいってたら、今回のエピソードは個人的に神評価となっていたでしょう…イロモノとして。

 全盲のアーティストったら僕が今パッと思いつくのは、レイ・チャールズとかスティービー・ワンダーとかなんですけど、彼らが天才的なミュージシャンであることは、やっぱり視覚障害によって常人より鋭敏な聴覚、音感を持つに至ったがゆえであったり、目が見えない人には見えない人なりの、独特なイメージの世界を持ってるからではないかとか、普通に視覚に頼った生活送ってる僕なんかは思ったりするんですが。
 まあ、もともと人間って哺乳類の中ではかなり例外的に視覚一辺倒で生きてる動物なんですけど、視覚を失うということは、その他の感覚…嗅覚や聴覚、味覚などを失うよりも、よほど生活に支障をきたしそうに思えるわけで。そのせいで“見えない”ってのがどういうことなのかがなかなか想像しにくいってのはありますね。
 そういや、高校生の頃管理人は、野球場でバイトしてたことがあったんですけど、時折全盲のお客さんが野球観戦にこられることがありました…って、“観戦”って全盲なのに? と思う人いるでしょうが、普通にいるんですな、これが。ちゃんと指定席のチケット買って見にくるし、付き添いの人がいる場合もあれば、まったくひとりでこられる場合もありました。
 ひとりの場合は当然係員が席や施設の案内をしてあげたり、トイレへいくかどうかを定期的に訊いたり、階段やスロープ、エレベーターなどで付き添ってあげたりしなくちゃいけないんですが、それ以外は基本的にノータッチです。しかも、そういうお客さんは大抵ラジオで中継を聞いてるわけでもなくて、本当のほんとに“観戦”にきてるという…実際、ある全盲のお客さんと試合終了後出口へ案内するついでなんかで会話することもあったんですが、仕事中ということで当然試合の全部を見ているわけではない僕と較べて、そのお客さんのほうが、よっぽど流れ把握してたりってことはしばしばでしたし。そういうのに出くわすと、失礼ながら目の見えない人にとっての“見えない”とはどういう状態なのか…いや、むしろ僕らにとっての“見える”ってのがどういうことなのか? とか、素朴な疑問を感じてしまうわけです。

サヤカ「確かに昔は目の見えない人が見えるようになる手術受けるのって、大変だったみたいだけど」
ユキノ「今は義体化するんだから大丈夫なんじゃない?」

 うーん…まあ、これが一般的な反応かなあ。
 ミナモの友人ふたりがどっちも電脳化してるから見える/見えないということに対して、こういう1か0かみたいなデジタルな考え方しかできないってより、これは“見える”人には普遍的な感覚でしょう。“見えない”というのは僕らには完全に想像の枠外なんだし。
 久島もいってましたけど、目隠ししたところでそれは疑似体験にはなり得ず、見えない人の持つイメージの世界を窺い知ることは僕らにはまず不可能だろうし、反対に、見えない人がたとえ見えるようになったとしても、僕らが生来体得している感覚の世界を把握するのは非常に困難か、あるいは不可能なのかもしれません。
 見えない人にとっては見えないからこそ“見える”が理解できず、見える人間には見えるがゆえに“見えない”が理解できない…というのは、思考うんぬん以前に完全に感覚的な領域での差異なんだから、理解できないものは果てしなく理解できないものなんでしょう。また、そこら辺の差異は埋めてやらなくちゃいけないものなのか? と訊かれたら、僕なんかはうーん、と考え込んでしまいそうになります。見える/見えないを利便性という基準のみで考えたら…そして、便利なことが不便よりも優れているとするなら、見えないよりは見えたほうがいいんでしょうけどね、おそらく。
 とはいえ、その人なりの個性とかパーソナリティとか才能ってもんは、しばしばハンディキャップと表裏であったりするからなあ。後、技術という便利な道具は、それが便利であるせいで、かえって人間から個性を奪いフラットにしてしまう側面もあるわけで。
 たとえばインターネット普及以前、オタクという人種にも中央と地方とで格差が普通にありました。地方のオタクと中央のオタクの間に、情報の量、スピード、精度に当然のようにラグがあった時代、そうであるからこそ中央から発信される情報を、いかに多く素早く正確に蓄積するかが、地方オタクのステータスの基準になってたところはあったんすね。つか、もともと“オタク”といったら、ある分野に特化して馬鹿みたいに知識を詰め込んでる者、というのが本来のその呼称の使われ方だったわけなんですけど、今“オタク”と呼ばれてる、ないしは自称してる連中の中に、中央地方関係なく、そういう知識馬鹿がいるかったら…いないっすからねえ。
 薄い知識でオタク・クラスタに参入できるのは、それだけオタク・カルチャーが一般に浸透したからってこともあるでしょうし、インターネットの普及によって、情報格差が消失し、情報の蓄積自体には価値がなくなったため…むしろ、膨大に得られる情報の取捨選択のほうが重要視されるようになったからだ、ってのはあるでしょう。
 おかげで昔みたいな濃いオタクはむしろ少数派になり、アニメだ漫画だといった対象へののめり込みの度合い、造詣の深さによってよりは、オタク市場が提供する商品の優秀な消費者であることによって…フラットに市場に参加できるかどうかってところで、“オタク”であるか否かが判定されるという状況が今あったりもします。まあなんだ、ぶっちゃけ消費者であれば誰でも今すぐ“オタク”を名乗れる時代っちゅーことですな。ちょい前まではオタクなんて、そうそう簡単に名乗れるもんじゃなかったんですが。
 それをいいとか悪いとかいうつもりはありませんが、格差がなくなったおかげで“薄くなった“…つまり、一般化され浸透が進んだ代わりに、オタクひとりひとりに際だった特性や個性は見出しにくくなった、とはいえるでしょう。あのオタキング岡田斗司夫氏ですら、オタクは死んだ、今オタクを名乗っている人たちはごく普通の人たちだといってるくらいですし。
 なにがいいたいかというと、各々の人間が持つ個性とは、しばしば他者との格差によってもたらされるもので、それはその人にとってのハンディキャップでもあり得ると。しかし、技術の発達や普及によって下手にハンディキャップを補い、格差を消失させてしまうと、それに伴い個性も奪われてしまう場合があると。
 まあ、個性があること=その人にとって幸せであるとは限らないんだから、利便性をなにがなんでも拒み、個性を死守しなくちゃいかんわけではないんですが…とはいえ、ギブ・アンド・テイクは常に考えておかなくちゃいかんことではあるでしょう。新しい技術が提供されるごとに、僕らは確実になにかを失っているかもしれないという考えは、意識の片隅に置いといても損はないかもしれません。
 だから、ときには、便利であることから遠ざかり、今回ラストの映見のように、あえて不便を選びとるというのも大切なことではないでしょうか。少なくとも利便性追求を四六時中これでもかと訴えかけてくる現代の中にあって、
「便利か不便か?」
 といった二元論的、1か0か的価値判断基準以外の基準を、自分の中に持っておくのは、技術を使う際にもこれから先どんどん重要になってくる気がします。上ですでに述べましたが、情報格差のなくなった現代ではあふれかえる情報の洪水から、なにを選び、なにを選ばないかが大切になるように思えますし、その選択の仕方に、その人なりの個性が表れてくる場合もあるんでしょうから。
 情報の取捨選択とは、ある意味、
「意図的に自分を盲目にすること」
 といい換えることもできると思います。なにを見、なにを見ないか…あるいは見ることを選ぶか、見ないことを選ぶか。当ブログの記事ではしばしば、アニメの感想記事内で実写の映画や小説、詩や音楽の引用やったりしてますが、またその一方で、
「アニメばっか見てんじゃねえ」
 的発言も、たまにやったりしてますが、それは僕なりの、“なにを見、なにを見ないか”の基準の指し示し方であるとご理解いただければ幸いです。実際それによって、このブログの個性ってのも、ある程度示されてるところはあるでしょうし。
 感想記事に上げる作品が三本きりってのも、僕なりの情報の取捨選択の結果です…といいたいところなんですけど、実のところそれは単に、今のアニメを全部見られる余裕がないってだけの話だったりして。
 この情報処理能力の低さも、僕の個性だからいいでしょ…というわけには、やっぱいかんだろうなあ。





↑つか、電脳操作で味覚を一時遮断するとかできねーのかと、ユキノが肥満を気にしてたことにいささかビックリな管理人にどうぞ拍手でも。





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