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2011.03.22 Tuesday

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昨日の事件について

2008.06.09 Monday 16:09
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000009-yom-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000049-jij-soci

 すでに皆さんご存じのことかと思いますが、昨日の事件に関していくらか思ったことなどを。

 この稿では事件とその現場との関連性については述べません。犯人は静岡から「人を殺すために」秋葉原にきたと証言しているようですし、あの街の特殊性が事件発生に絡んでいたとする状況証拠は、今のところ見つかっていませんから。
 もっとも、犯人が昨今メディアが頻繁にとり上げている、秋葉原という街を犯行の場に選んだことに関して、現場うんぬんといったことより、メディアのとり上げ方に、その関連を認めることはできるかもしれません。この事件も結局は、現場の特殊性に絡め、話題性を付加し強調するかたちで報道されるのでしょうか? それは“事件の娯楽化”といってもいいのですが、そうした娯楽化と、それへの消費行為こそが、今の社会に対する多くの人々が抱く、非現実感を加速させるものなのではないかと、僕には思われてなりません。その非現実感がぬぐわれない限り、似たような事件は二度三度と起こるのではないか、と。
 犯人の青年は事件発生前に、携帯掲示板に犯行予告を書き込んでいたそうですが、社会の中で自分の存在が消えかかっていると感じる者が、その存在を主張する、これはサインであったと見るのも、あながち間違いではないように思えます。もっというなら、昨日の犯行そのものが、
「自分はここにいる」
 というサインだったのではないかとも。犯人にとってはその犯行をなるべく多くの人に見てもらい、自分の存在を認知してもらう…ああいうかたちでであっても…ことが一番の目的であって、だからこそ、犠牲者は本人のいう通りに「誰でもよかった」のではないか、と、そんなふうにも感じられます。
 犯人の行為が許すべからざるものであることは論を待ちませんし、また、個人的にもこれを許す忍耐や寛容の心を、僕は持ち合わせません。もっとも許しがたいのは、犯人が、特定個人に対する憎悪や怨念のためにではなく、ただ、自己存在証明のために無差別に人を殺したと思えることです。僕なんかがあらためていうまでもないことですが、人の命は、誰かの承認願望を満たすための消耗品などではありません。
 こういういい方がこの事件を語るのにふさわしいのか、また、モラルに適っているのかはなはだ自信がないのですが、僕にはなにが悲しいといって、誰かを殺そうという明確な意志すらなく、この犯人が多数の人々の命を奪ったという、その無目的と無感覚があまりにもやりきれなく感じられます。

 命というものを、その実存を、認識できない無感覚に、僕らはどう対処したらいいのでしょうか? 犯人は自分がここにいることを訴えたかったのかもしれないけれど、僕らだってここにいるのです。あの街にあの日、たまたま居合わせた人たちだって。昨日の彼らは明日を迎えるはずの人たちであったのに、今日にはもういない…それが不条理だということを、この犯人のような人間に、どうやったらわからせることができるのでしょうか?
 どうか現実感をとり戻してくれ、と言葉で訴えたところで大して意味がないのはわかっていますが、それでも訴えずにいられません。この世界がどんなに実感に乏しかろうと、世界というものは存在するのだと。TVがつくり出す虚構の中での承認は、あくまで虚構でしかないのだと。そして、現実さえも虚構化してしまうメディアの情報からは、注意深く距離を置いておかないと、世界とのつながりを失ってしまうこともあるのだと。それらは、僕自身が虚構に依存しがちな人間であることからも、自らに返ってくるメッセージでもあるのですが。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々の心が一日でも早く、慰めを得られることを願わないではいられません。
 あの街にいた、そして今はいない人々が、僕であったとしても少しも不思議ではないのですから。

 追記
 昨日この記事を書いたのですが、一日経った今、そのことを後悔しています。この手の事件が起こると昨今では、犯人の心の闇を探り、その作業の課程で自らを犯人に投影して、犯人像やその犯行に”物語”を見る人が多いようですが、案の定、現在TV、新聞、雑誌、ネット等で、その作業に余念のない人たちがいるようです。
 むろん僕もその中のひとりに、気づかず入ってしまっていたことは、上記記事からも明らかなわけで、おかげで今、ひどい自己嫌悪に陥っています。
 あえていいますが、今の僕は犯人の心の闇だとかなんだとかには、欠片ほどの興味も抱いていません。彼に自己投影したい人はすればいいし、なんだったら彼を物語のヒーローに祭り上げるのも勝手ですが、彼ほどには注目もされず、その声を聞く者も少ないであろう、被害者やその遺族の方々の心情に、もう少しくらいは配慮が向けられてもいいのではないか、と、そう考えています。
 上記記事は馬鹿が馬鹿をやらかしたまずい例として、消さずに残しておきます。


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 こんばんは、だんちです。今日日中出かけていて、さっき帰って来て秋葉原の事件のこ
| 妄想界の住人は生きている。 | 2008/06/09 6:35 PM |