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2011.03.22 Tuesday

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二十面相の娘 第4話「盗賊志願」第5話「花形リリィ」

2008.05.27 Tuesday 20:24
 すみません、二本分まとめさせていただきます。
 正直いって今のところまだこの作品は、面白いと断言できるほどの内容じゃないんですけど、ま、“二十面相の娘”としてのチコの活躍に入るまでの、助走段階なんだろうしな。
 叔父夫妻に毒殺されかけたチコが、二十面相グループという新しい家族や社会を獲得し、そこに居場所を見つけて成長し…ってのをちゃんと描いとかないと、おそらくこの先に控えているであろう、喪失の痛みを印象づけられないということで、今は静観するのが吉でしょう。

 社会や共同体に帰属するってのは、単純にたまたまそこに生まれついて存在するというより、もう少しだけ主体的かつ能動的な意味を持ってくるもんです。また、そうでなければ、社会的動物としてのヒトという生き物は、相当にみじめになっちゃうわけで。
 ちょい古い映画で、しかも地味な作品だから知ってる人どれだけいるか知りませんが、ジョエル・シュマーカー監督、マイケル・ダグラス主演の「フォーリング・ダウン」という映画がありました。内容はある(もとは)平凡な男の一日を描いたもので、ひどく暑い夏の日、交通渋滞に巻き込まれた主人公が、エアコンが壊れ、蝿がうるさく飛ぶ車内でイライラが募った挙げ句、理性のたがを外し、車を置き去りにして歩き出すというのがその映画のスタートです。
「どこへいくんだ!?」
 と後の車の運転手が訊くのに、こう答える彼。
「家に帰るんだ!」
 その日は主人公の娘の誕生日なんですが、彼はすでに離婚しており、娘は別れた妻と暮らしてます。しかも彼は真面目に勤めていた会社を首になって今は失業の身であり、そのことを同居している母親にも告げられずに、会社に出勤するふりをして外で時間を潰すという毎日。
 男は娘に会いにいく前に電話をしようとするものの、小銭がないことに気づき、両替してもらおうとスーパーに入る…が、店主に両替を拒絶され、仕方なくコーラを買う…はずが、なんとそのコーラ一缶が85セント。店主のヒステリックな態度もあって怒りを爆発させた彼は、その店主が護身用に持ってたバットで店を無茶苦茶に破壊。
 次に公園でメキシコ人のチンピラに絡まれ、絡まれた挙げ句にまた怒りを爆発させ、バットをそのチンピラが持ってたナイフに持ち替えて…というように、一日のうちにその、Yシャツにネクタイに眼鏡のごく普通の白人男性をイライラさせる出来事が頻発し、そのたびに彼は怒りを爆発させ、バットからナイフ、銃、果てはバズーカ…と、持ち物も過激化していきます。もちろん、主人公の怒りの爆発のさせ方も。
 しかしこの主人公の男、別に頭がおかしいわけでもなんでもなく、とりあえず初めのうちはまともな、普通の人物だったのが、しかし、「フォーリング・ダウン」のタイトル通りに、小さなきっかけの積み重ねによって、どんどん狂気と暴力の奈落へ落ち込んでいってしまうのが、見ていてなんとも気の詰まるところです。
 彼をそんなふうにした背景には、むろん、離婚によって家族を失い、娘に会えなくなったという孤独と悲しみ、失業による怒り、恥というものがあったでしょう。失業で収入がなくなったから毎月の離婚手当も払えず、おかげで妻は誕生日だというのに娘を父親に会わせることさえ嫌がり、そのことが彼の、今はもう失ってしまった“家”に帰るという目的への偏執を生むことになります。
 彼の行動と平行して、その日が退職日という冴えないロバート・デュバルの刑事の一日も描かれるんですが、妻の尻に敷かれ、同僚からも見下されるこの刑事が、主人公の狂気の行動を追ううちにかつての精彩をとり戻し、誇りとともに職場に留まる決意をする結果が待っているのに対し、主人公の結末は死。このふたりに違いがあったとすれば、一方は家族と仕事という社会とのつながりの手段を持っていたのに対し、もう一方は持っていなかった、ということくらいでしょうか。
 無力感や疎外感ほど人間を心理的に孤立させ、孤立の果てに過激化や自滅に走らせるものもないと思うんですが、誰かに必要とされている…そしてその必要に応え、責任を全うしているという自覚があるだけで、人はなんとかかんとか人として生きていけるものなんですよね。その自覚を得るために、社会からの承認が必要なんですが、逆にいうなら、仕事や家族を失い、社会の枠組みから弾き出された個人というのは、ある意味では存在しないも同然となってしまうわけで。

 前振りが長くなってますが、犯罪者に荷担した以上、もう通常社会の構成員とはいえないチコにとって、彼女が帰属する社会は二十面相グループ以外になく、そしてその社会に“存在する”資格を得るには、仕事をしなくちゃいけません。ケンもいってたけど、この先も仲間たちといっしょにいるつもりなら、ただの“養われている子供”じゃなく、グループ内での役目や義務を自主的に、彼女本人の意志のもとに果たさなければいけない、っちゅーことですな。
 まあ、男どものために炊事洗濯やってる彼女は、それはそれで立派に仕事してるといえるんですけど、二十面相グループはあくまで盗賊団だしねえ。それに人間には社会参加欲求というものもあるし、子供だから女だからという理由で仕事させてもらえないんだったら、そらチコにとってはむしろ侮辱であり、不本意なことではないかと。犯罪組織内で一人前と認められるために、犯罪に手を染めないといけない、ってのは社会参加資格の条件としては、まったく妥当といえるでしょうし。
 ってことで、第4話では彼女の初仕事が、第5話では二十面相グループという犯罪組織の、犯罪組織たる部分が描かれます。
 自分も盗賊になるというのは、メンバーのほかの男たちと同等のポジションに上がるということで、引いては彼らと同じように二十面相のおじさんに認められる、ということですな。子供扱いは嫌だ、わたしはおじさんの役に立つ立派な大人になりたい、と。4話のミッションで、一番危険度の高い実行犯の役に彼女を推したケンが、そこら辺の心情を理解してたんだとしたら、なかなかニクいあんちゃんではないでしょうか。
 ところでこの番組の最後に毎回、平野綾が
「おじさん」
 といってくれるんですけど、グループを家族に見立てると、チコが娘だとして、船長が父親、ケンが一番年の近い兄…となって、じゃあ二十面相は? となったとき、なんかそのまんま親戚の“叔父さん”な気がするんですが。
 ミッション前の会議の場面で、チコを参加させるかどうかって話の中、船長がそれに反対し、ケンがチコの意志に任せようといい、二十面相はただ黙って静観してました。家族内ポジションとしては、直接の血縁として物理的心理的にいつもチコに関わっているというより、少し離れた位置から見守っているような、いかにも“叔父さん”的なスタンスに彼はいる感じです。
 部下たちはみんな、組織内で自分に振られた役割を果たしていればいいし、その責任の範囲内で心情的にチコに肩入れしたって構わないんですけど(船長がチコのミッション参加に反対したのだって、ケンがさらにそれに反論したのだって、どちらも彼女のことを思ってという点では同様です)、ボスとして組織をまとめ上げる二十面相にしたら、“社会”全体の公益のことも考え、そのためにはチコの感情だけでなく、彼女の“利用価値”も天秤にかけつつ計算しないといけないというのは当然でしょう。
 だから、距離を置いたスタンスになるんでしょうが、結局チコを“利用”する策を採ったのは、つまり彼女の才能を認め、使えるやつと判断しただけでなく、彼女の権利も認めた、ということなんでしょう。大人扱いしてほしいという彼女の要望を受け入れた、と。それが盗みをさせることの交換条件だと。

 おかげで5話では、新聞の記事での子供扱いに不服を唱えるまでに、チコも成長しております。ま、それくらいいう権利は彼女にはあるでしょうな。
 んでも、権利を守るためには義務を果たさなくちゃいけないのは社会のルールってもんで、そのせいでチコには後味の悪い結果が出てしまったのもまた、事実だったり。
 あのアンジーって子はキャラデザ的にどうも裏がありそうだと踏んでた上に、トラが再登場してケンを襲ったりもしてたから、ラストのあれは別に意外ではなかったんですが…できればもうちょっと、意外性持たせてくれたらよかったかなあ。でなきゃ、むしろアンジーをそのまま善良な女の子にして、チコのせいで彼女と父親は不幸な目に遭いました、という結末にするとか。
 まあ、ここら辺は好みの問題でしょうが、犯罪に加担しているチコの汚れた部分を、下手に救済しないでほしかったというか。結局あの子も腹に一物秘めてたんだね、ってことで、結果として彼女の行動が正当化されちゃうのがなんかね…。
 これは倫理的にどうこうって話じゃなく、つくり手が主人公をむやみにかばい立てするようなお話は、往々にしてつくり手以外には面白くなりようがない、ってな話です。5話は特に、全体を通して冗漫かつ、いかにも今後の展開のための“準備回”なんだなあ、必要だからしょうがなくやってんだなあ、という気がしたんで、ラストのあれでさらにがっくりきちまったというか。まあ、予想通りではあったんですが、できればその予想を裏切ってほしかったわけでして。
 しかし、こうやってチコの帰属する社会についての描写がずっとされてるってことは、それを失いふたたび孤立する展開が待ってるって考えたほうがいいのかな? 彼女の叔父夫婦…てか、叔母さんがまだ虎視眈々と財産狙ってるようだし、おそらく本筋はこの後なんでしょう。
 多少冗漫でも今はまだ、ぐっと我慢させていただきます…とりあえず、後2、3話くらいは。




↑5話の「おじさん!」のいい方から、意外と本筋展開は近いか? と思った管理人にどうぞ拍手でも。





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2011.03.22 Tuesday 20:24
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コメント

私的におばさん夫婦は、今後何もしないのかな、と思っています。
私立探偵に捜索を願ったのは、おそらく「探している」という事実を残したかったのではないか、と。
夫婦、というかおばさんにとって、チコがいない現在、頼りない小物な夫をどうにかする、ということ。これは、おそらく前々から考えていた、と思われます。弁護士との密通もおそらく夫を殺すかそれに類することをするために…。
おばにとって今困るのはチコが帰ってくることです。なつかず、しかもチコが殺されるということを知っている現在、チコが帰ってくることはとても困る。それよりも現在動かせるすべてで持って私腹を肥やすことを先にしたほうがよい、と考えるはず。
チコが見つからなければ死亡宣告が出されてその財産は後見人のおば(この時点でおじは他界でしょう)になる。
つまり、おばにとっては、チコが帰ってこないほうが大切。ってことです。そして、それ以上はおそらくはしていない、とは思います。まぁ、チコを殺すよう誰かに依頼した、というのも考えられますが、一般夫婦にそれができるかどうか疑問ですし・・・。
たぶん、私立探偵は彼一人でしょう。快く探してもいない彼に金を渡すのは、「これくらいの金で莫大な金が得られる」から、どうでもいいのでしょうね。
| karino | 2008/07/17 4:30 AM |
karinoさん。コメントをありがとうございます。よろしければ今後ともご贔屓に。

>私立探偵に捜索を願ったのは、おそらく「探している」という事実を残したかったのではないか、と。

空根への依頼は世間へのポーズだってのは明らかで、叔母の意図はその点では見え透いてるんですが、夫を殺して弁護士を共謀者に抱き込んだ描写が作中に現れる以上、それらがその後の展開への伏線になると見るのが自然じゃないか、と思った次第でして。
まあだから、叔母はもちろん空根がチコを見つけないでいてくれることを期待してるし、見つからない限りは彼女もなにもするつもりはないんでしょうけど、おそらくそういうわけにはいかないんだろうな、と、この回を見た時点で思ったわけです。

実際、この後の展開を見ていると、毒叔母さんが空根を雇ったのはまったくもって誤算だったとしかいいようがないというか…チコへの殺害計画の度重なる失敗に、へボ探偵がうっかり彼女を見つけさえしなけりゃ、すべてがうまくいってたのに、と、叔母さんにいささか同情を禁じ得ない気持ちもなくはなかったりしないこともないような気がしたりしなかったりもしますし。

空根はいろいろな意味で、叔母には“期待外れ”なやつですね。
| memento | 2008/07/19 11:41 PM |

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