Speak Like a Child

世の風潮も時代の流れも無視して、ただ思うままくっちゃべる徒然ブログ。

スポンサーサイト

2011.03.22 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -

∀ガンダムにおける君主論・その14

2008.05.21 Wednesday 22:55
 お待たせしました、という言葉ではもはやとり繕いようもないくらいにお待たせしてしまった「君主論」です。
 これまで、ディアナ・ソレルを天皇型君主、グエン・ラインフォードを大統領型君主と呼んで、主にそれらふたつの君主タイプの比較というかたちで論考を進めてきたわけですが、今回はその一方、グエンのキャラクター論の総括を、第45話「裏切りのグエン」と第46話「再び、地球へ」の物語の流れを中心にして行いたいと思います。
 とはいえ、今回の論述は総括ということで、上記ふたつのエピソードをしばしば前後するかたちをとることを、初めにお断りするとともに、お詫びしておきます。

 運命は冷たいほど冷静に対してくる者よりも、征服したいという欲望を露わにしてくる者のほうに、なびくようである。
                                   (ニッコロ・マキャヴェッリ「君主論」)

 以前の稿で僕は、「∀ガンダム」を、地球と月、それぞれの文化を男性と女性に見立て、それらの交接と並存を描いた、壮大な性行為の物語であると語ったのですが、そう思う理由のひとつとして、ふたつの文化圏を象徴するキャラクターに、地球の側に男性のグエン、月の側に女性のディアナが配置されている、ということがあります。
 二文化圏を代表するキャラクターが、男性と女性に分けられたのは、まず間違いなく富野監督の意図によるものでしょうが、それらふたつの文化の媒介者に、ロランという男性/女性の二重化されたセクシュアリティを持ったキャラクターが配置されたのも、また意図的なものであり、その意図に、「∀ガンダム」の構造のユニークな特色があるように感じられます。
 第1話でロランはムーンレイスの先遣として地球に降りました。彼はもともと地球文化における“他者”のポジションでそのキャラクターがスタートしていますが、“他者”として(異文化を地球にもたらす媒介として)ロランが最初に接触した地球人が、ソシエでもキエルでもなく、グエンだったことを思い起こしてください。この後グエンがロランを見初め、彼を“ローラ”という女性名で呼んだことをきっかけとして、ロランのセクシュアル・アイデンティティの二重化が始まるのですが、第7話で彼を女装させたことといい、ロランの二重化を助ける大きな役割を果たしたのは、常にグエンでした。
 実際のところ、ロラン/ローラ、ムーンレイス/地球人の相互的な成り代わりは、成り代わりというだけならディアナ=キエルのそれにも繰り返されるテーマではあるのですが、ロランの場合はそのきっかけを与えたのがグエンであったことから、必然的にセクシュアリティを帯びるという点が、ディアナのそれとは異質です。
 ところで、グエンがロランに性的執着を抱いているということから、彼がホモセクシュアルであるとする見方が、おおむね一般的なんでしょうが、僕個人の見解としては、あまりそういうふうにも見えない、というのが本当のところです。
 物語において、ロランの男性性はたいした意味を持たず、もっぱら彼は媒介者として、つまり男性/女性のクロス・セクシュアルなキャラクターとしての意味性を強調されつづけます。いってしまえば、ロランが生物学的にオスとして設定されているからといって、キャラクター記号的には必ずしも、オスと捉える必要もないのではないか、と僕は思ったりもします。ロランをローラと呼んだり、女装させたりしたということは、グエンが彼を愛するのに、女性に見立てる必要があったともいえるわけで、それはホモセクシュアルとはいささか異なるものだったのかもしれないし、そもそもロランは、オス/メス、地球人/ムーンレイスといったボーダー化を拒絶するようなキャラクターであったともいえます。そして、そんな存在であるからこそ、グエンは彼に惹かれたのでしょう。
 グエンの、ロランに対する性的執着は、彼がムーンレイスであるというバックグラウンドと、間違いなくリンクしていました。
 およそグエン・ラインフォードくらい、内向とか保守とかいった言葉が似合わない人物もいませんが、彼の旺盛な好奇心は、ほとんど常に外部へ向けられ、外的な刺激に敏感でした。月社会の文化、黒歴史の発達したテクノロジー、男性でありながら女性でもあるという、異質なセクシュアリティを背負う者…第1話でディラン・ハイムにロランを紹介されたとき、グエンが早々に彼を“ローラ”と呼んでいたこと、さらにはそのときに言及したのが、ロランの特徴的な髪の色であったことなどは、なかなか示唆的です。ロランのエキゾティックな美貌に、第一印象から強く惹きつけられていたという事実から、グエンの関心の方向性が窺えるようです。
 後にロランがムーンレイスであったことを知っても、グエンの彼への興味は減じることはなく、というより、その事実でさらに興味が増した、というのが本当でしょう。
 19〜20世紀初頭の文化や科学技術しか持たない地球に生まれた彼にすれば、先進的なテクノロジーを誇示しながら襲来したムーンレイスは、外的刺激としてあまりに魅力的であったでしょうし、そのことはロランのキャラクターに結び合わされて、彼個人の魅力を引き上げたに違いありません。つまるところ、グエンがロランを愛したのは…また、地球の多くの者たちと違って、ムーンレイスに個人的には好意的であったのは、それらの対象が“他者”であったからにほかならないでしょう。
 逆にいうなら、他者性を帯びない対象への関心は、彼の場合、薄いものにならざるを得なかったはずです。始終グエンにつきまとっていたリリ・ボルジャーノが、その露骨ともいえる振る舞いに比して、たいした応え方をされてもらえなかったのも、ようするに、彼女が始終つきまとっているような女性だったから、といえるかもしれません。父親と懇意の領主の娘であり、将来的には政略結婚でもされそうなリリは、グエンにすれば“身内”であって、そうであるためにセクシュアルな関心を喚起しない相手なのでしょうから。
 もともと野心的な男性が持ちがちな、この種の外的刺激への強い関心というものは、根をたどっていけば、支配欲や征服欲につながるものですが、支配対象としてのリリが、グエンの目にはまったく魅力的に映らなかったのは、彼の立場では無理からぬ話です。なにしろ、あらためて支配するまでもなく、彼女はすでに手に入っているも同然なのですし。
 なによりも、彼女を愛情の対象とするということは、イコール地縁に囲われるということで、それはつまり、グエンのほうが支配されるということでもあったでしょう。彼のような男が、それを面白く思うはずがありません。

 支配欲、征服欲から発するグエンの、外的刺激への関心は、月との接触という未曾有の事態の対処にあってはプラスに働きました。
 ムーンレイス襲来は、グエンにすれば、己の躍進と野心の実現の、またとない絶好の機会だったでしょう。事実、月との交渉で中心的な役割を果たすことで、彼は権力獲得に成功します。おそらく、ディアナの地球帰還作戦によって生じた時代の変革は、それを促すのに必要な才能を、月と地球、双方の側に求めたのであり、そして、歴史がしばしば奇跡を示すように、幸いにして歴史の要請に応える指導者を、人々は得ることができました。
 とはいえ、個人的には変革の時代には、ディアナのような穏健派よりは、グエンのような支配欲求の強い、理性的であると同時に大胆なタイプの指導者のほうが、適しているように感じられます。変革とはすなわち、古いシステムを破壊した後に、新しいシステムを構築する作業なのですから、ギンガナムのような破壊一辺倒の男にはむろん向かないし、破壊を恐れて現状維持に固執する、アグリッパのような男にも不適任です。
 ディアナも、彼女自身が宇宙世紀という古い時代を体現しつづけてきた存在であるために、自らの死をもってその古い時代を終わらせ、後継者(=キエル)に後を託すことが、せいぜいできる限界でした。
 支配も変革も破壊や攻撃を伴うものですが、破壊や攻撃それ自体を目的とするものではありません。少し話が飛んでしまうのですが、第48話では、
「戦争というのは武力の問題だけではない。産業や教育、思想まで侵略させるかもしれないという性格を持っている」
 というグエンの台詞が出てきます。このことは彼が、戦いに勝つことだけでなくその先のこと…勝った後で獲得した占領地や占領民をどうコントロールするか、ということまで視野に入れた政治家であることを示すものでしょう。変革を志す指導者の、これは最低限必要な視野だといえます。もっとも、その後で勝ちもしないうちから、戦後の占領政策ばかりに考えを先走らせているのを露呈させて、ミハエル大佐からとうとう見限られてしまうのですが。
 クラウゼヴィッツだか毛沢東だかの言葉に、戦争とは異なる形態での政治だというのがありますが、支配、征服の対象を回復不可能なまでに徹底破壊、攻撃するような戦闘は、戦争という“政治的行為”においては非効率のきわみというべきでしょう。そして、理性的な政治家であるグエンの支配欲求は、このような非効率を理解しませんでした。
 おかげでギム・ギンガナムの非政治的な戦い…別のいい方をするなら、混じり気なしの純粋な破壊衝動からくる戦いには、ついに彼は理解不能のままであり、そんな相手と同盟を結んだことが、グエンの最大の敗因となってしまったわけです。この見誤りさえなければ、ディアナよりも優れた君主として、彼の名が歴史に刻まれた可能性も、じゅうぶんにあったのですが。

 しかし、グエンとギンガナムの欲求のあり方が大きく異なる以上は、そうした見誤りも、あるいは仕方のないことなのかもしれません。
 グエンの支配欲は外的存在への関心となって、ロランへの愛や執着というかたちでつながっていますが、ギンガナムの場合、愛情の対象たるディアナを、彼が手に入れたいとか支配したいとか考えているのかといえば、そうでもなさそうです。
 第45話でターンXの引渡しを命じられたギンガナムは、散々女王への愚弄的言辞を吐きながらも、命令自体は(メリーベルが不服を訴えるほどあっさりと)受け入れています。これを見ていると、自らが君主、指導者、もしくは支配者としての器を持たない彼は、むしろ、優れた君主にコントロールされることを望むタイプなのではと感じられます。
 だとしても、彼が望んだ君主がグエンでないのは確かでしょう。ギンガナムの被支配欲求、従属欲求が求める“支配者”は、過去にも未来にもディアナただひとりであり、なのに、彼女からは忌避されつづけるという悲哀が、彼をして破滅的な行動へと走らせるわけですが、グエンと組んだのも、別段ギンガナムが彼を仕えるべき君主と仰いだからでもなんでもなく、アグリッパと共謀したときと同じく、その破滅願望の実現に利用できるからでした。
 一方のグエンはというと、そもそもからして破滅願望など、理解すらできないタイプの男なので、共謀はいたって実利的な判断に基づいています。さらには例のごとく、彼の特異な才能である、“公益と私益の合致”によって、たぶんに私欲の含むものでもありました。
 グエンがたびたび“公私混同”を行ってきたことは、これまで幾度も述べてきた通りですが、公的な目的と私的な目的の充足を一度にはかるという、その見事なバランス感覚が正常に働いている間は、彼の周囲にいる者たちもグエンを支持し、ついてきたのです。
 が、今回ばかりはそのバランス感覚に翳りが見えたようでした。以前にコレン・ナンダーに自領の首都を破壊されたことからもわかる通り、もともと理性優先タイプのグエンには、その思考や行動の予測のつかない感情優先タイプの人間を、完全にコントロールするのは不可能であり、ノックス崩壊ですでにそのことは実証ずみであったのにも関わらず、同じく感情タイプのギンガナムを、己の器量でコントロールできると過信した彼の判断に、シドやブルーノ、ヤコップ、ホレスなど危惧を覚える者が少なくなかったのは当然でしょう。
 また、グエン自身も、このときはいささか自信に欠けていたようで、ほぼミリシャのメンバーだけをウィルゲムに乗せて緊急に月を飛び立ったのは、不支持者たちを説得する力が自分にないことを、理解していたからだともとれます。そんな場合でもロランだけは強引に連れていこうとするのが、彼らしいといえば彼らしいのですが。
 冬の宮殿でディアナが見せた、宇宙世紀の歴史の記録に大きく影響されてしまったことが、こうした彼の判断ミスを招いたことは明らかですが、基本的にはグエンの、もとからの資質に負うところが大きかったようにも思います。普通の人間でも、あんな記録を見れば影響を受けずにいるのは困難なのに、ましてや、外的刺激に人一倍敏感なグエンが激しく揺さぶられないわけがありません。
 シドに黒歴史のデータを吸い出させ、技術の独占をはかったのも、ギンガナムの力を借りて地球制圧を目論んだのも、彼自身は産業革命うんぬんなどともっともらしい理屈を唱えてはいるものの、本当のところ、個人的に“黒歴史に魅せられた”だけなのでしょう。グエンの本来の目的が、月と和平を結ぶことだったことを、思い返してみてください。和平実現をはばむ勢力は、月本国ではもう差し当たってギンガナム以外にいないはずですが、ディアナではなく、そのギンガナムと結んだという事実からして、グエンの行動に目的と手段の主客転倒が生じてしまっていることがわかります。
 政治目的達成のためのパワー行使ではなく、行使それ自体を目的としたパワーの行使へ…有能な政治家であるグエンもとうとう、その有能さゆえに手段の目的化という落とし穴にはまった、ということなのでしょう。テクノロジーのテーマに関しては、この「君主論」でも何度も言及してきていますが、それこそヒトが火を使い出した頃から、新しい技術を、それが実現可能なら現実へ及ぼす結果や影響に関わりなく実現させ、また、それが必要か否かを深く問うこともなく、単に利用することそれ自体を自己目的化して利用する、という“人と道具の力関係”は、連綿として人間の文明進化について回る命題でしょう。
 「∀ガンダム」が、コントロールされる道具の範疇を超えてテクノロジーの暴走を招き、その結果、文明を破壊した歴史を持つ物語であることを考えると、支配欲求が強く、理性でなんでもコントロール可能と過信するグエンが、その過信のために政治や技術といった“道具”に、気づかず支配され、コントロールされるという展開は、恐ろしい示唆を含んでいます。月を飛び立ってからグエンが、コックピットの外れた∀を前に、それを月の技術力で制御できると説明するギンガナムに対し、明るい未来が開けている、という下りがありますが、この時点で君主であるグエンから、“民衆のモデル”であるロランが離反していること、そして∀がコックピットを失っているということが、一種戯画的に、彼の現状を物語っているようです。民衆の支持という統治の基盤のない指導者とは、いわば制御を離れた機械のようなものだ、と。
 とはいえ、そのグエンを単純な悪人として描かなかったところに、富野監督がこのキャラクターに込めた意図を読みとることもできそうです。グエンは確かに物語の終盤においては、道具に踊らされる愚かな人物ですが、序盤では、兵器である機械人形を、“使わない兵器”として…つまり、あくまで政治目的に適った、道具として利用していました。彼にとっては戦力とは、対等の外交交渉を進めるためのカードでしかなく、交渉相手のディアナ同様に、戦いたがる軍隊を抑え込むことのほうが、本来の役目だったわけです。実際、彼がまともな政治家であり、バランス感覚が正常に働いていた間は、その役目をおおむね立派に務めていました。
 上記の“人と道具”の関係というものは、“政治と戦争”のそれと置き換えることも可能でしょう。戦争は政治に帰納されるべきものであり、あくまで政治目的達成のための一手段でしかない…しかも、戦争という道具は、いったん抜いてしまったら簡単には鞘に収められない危険な刃物であるということをあらためて認識するなら、手段の目的化とか、人が道具に使われる問題とかについて、人はよくよく慎重に考えてみる必要があるかもしれません。残念ながら、そうしたことに意識的な人々というのは、どちらかというと少数派であったりもするのですが。
 政治家であるグエンが、戦いのための戦いをやっているギンガナムを、利用するつもりで逆に利用されている姿は、同じように利用されて死んだアグリッパ同様、愚かと一笑に付すことのできない問題を、僕らに突きつけます。似たような状況に立ったとき、僕ら自身が同じ過ちを犯さないと誰が断言できるでしょうか? いや、同じ過ちをすでにやっていないと、誰が断言できるでしょうか?
 技術の洪水に浸された生活の中で、そのことにさしたる疑問も抱かずに生きている僕らも、自分自身になぜそうした技術が必要なのかを、一度くらいは自問してみてもいいかもしれません。

 ロランの離反によって、グエンの君主としての命運は決したともいえるのですが、ディアナのほうはといえば、ギンガナム討伐という名分を得たことで、逆に民意の支持をとりつけ、君主としての復権を果たすことになります。よくよく考えてみれば、追撃できないように港を破壊しながら、親衛隊所有の宇宙船を一隻だけ残しておいたギンガナムの処置は、ずいぶんと不思議なのですが、ある意味では、ギンガナムの書いたシナリオに沿って、ディアナもグエンも動いているといえるのかもしれません。
 天皇型であろうが大統領型であろうが、民意を無視する類の、いわゆる“暴君”でない限り、君主が結ぶ民衆との関係は、一見一方通行のようで、実は相互的なものだといえます。君主はその必要があるなら民意を誘導する代わりに、民衆のほうも世論というかたちで政策を誘導するし、国家の支配/被支配の関係だって、そもそもは“数の集まり”において、最大の権力である“数”を掌握する民衆が、その数のパワーの効率的な還元作業を、権力者と呼ばれる少数者に委託する、というものです。
 あくまで委託されただけのパワーを、自分自身がもとから持っていたパワーであるかのように錯覚したとき、権力者の過信は自らの足元をすくうことになるのでしょう。
 とはいえ、グエンが自己過信によって足元をすくわれたのは、彼が君主であるという側面を除くなら、才能ある若者には特有の、ありきたりな欠点と呼ぶこともできます。彼ほどの優れた資質と情熱の持ち主なら、今後時間をかけて経験を積むことで、じゅうぶんにこれは改善可能でしょう。
 しかし、同時に見られるもうひとつの欠点のほうは、あるいは永久に改善が見込めないかもしれません。そしてそのことを僕は、それが欠点であるがゆえに、グエンという人物の魅力として感じます。
 理性家であり、功利的な合理主義者である彼が、その理性でコントロールできなかったもののひとつに、ロランへの感情がありました。理性やロジックでコントロールも支配も不可能な対象があることを、失敗や挫折を知らない若者のうちはなかなか想像できないというのは、人の常です。おそらくはグエンが初めて経験した最終話での“完全敗北”を、しかしそれに直面したとき彼は、失意と同時に喜びを覚えたというのは、突飛な想像でしょうか?
 彼のロランへの執着は、ムーンレイスの文化や黒歴史の発達したテクノロジーへのそれと同じく、対象を手に入れ、支配することを目的としたものでした。が、手に入れるということはそれが叶った瞬間から、その対象が外的な存在であることをやめ、魅力の褪せた、ありきたりな内的存在へ変化してしまうという、アンビバレントを内包するものです。
 外向きの好奇心がグエンを常に行動する主体として駆り立てたのも、すでに持っているものには飽き足らず、手に入らないものにこそ魅力を覚えるという、野心的で欲深な男には特有な、ある種救いがたい性からくるものでしょう。そしておそらくはこの性からは、生涯グエンは逃れられないでしょうし、逃れられないからこそ、彼は彼でありつづけるのだろうとも感じます。
「今のわたしにできるのは、愛するローラの勝利を願うことだけです」
 最終話で敗北したグエンはそういいますが、これは彼の本音なのでしょう。支配されないことで、逆にロランは彼の愛の対象としての魅力を損なわずにすんだのですから、これをいったときグエンが、内心ひそかに喜んだとしても、僕は驚きません。それはまったくロジカルでない感情ですが、しかし、愛情とはそういうものです。
 行動によって民衆にその統治の根拠を理解させるという、理性的なシステムを基盤とする大統領型君主の彼は、最後の最後にその行動(政策)を民衆に納得させられずに、支持を失いました。行動よりは生来のカリスマによって民衆の支持をふたたび獲得し、見事に復権したディアナとは対照的ですが、このふたりの君主が“民衆のモデル”として欲していたロランもまた、彼女が非理性的君主であるがゆえにディアナを支持します。
 象徴的にはこれは、ロランのその民衆的な選択が、グエンの敗北を決定的にした、ということなのですが、それでもその民衆を…つまり、グエンにとっては性的にも愛情を求めたロランを、手に入れ損ない支持を失ったからといって、害そうとか復讐しようとか考えずに、それどころかその身を案じ、勝利を願えるというところに、僕は、人として君主としての、グエンの本質を見るように思います。
 ロマンティックないい方をするなら、君主とは、民衆への愛のために犠牲を厭わない存在ともいえるのですが、その愛のために大きく傷ついても悔いることなく、あれこれと判断を誤りつつも、自主的に君主の責任を引き受け、それを果たそうとする、グエン・ラインフォードという男の姿勢には、やはり僕は、大統領型君主としての理想を認め、賞賛を送らずにはいられません。




↑我ながら今回は長すぎだと思うんですが、おそらく次回もそうなりそうな予感のする管理人に、よろしければ拍手でも。





∀ガンダム | comments(2) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

2011.03.22 Tuesday 22:55
- | - | -

コメント

おひさしぶりです。ミントです。

ものすごい読み応えです(笑。いろいろ書きたい事がありすぎて何から書いていいやら・・。∀ガン見たのがかなり前なので記憶がうろ覚えなところもあります。君主論1〜13を参照しながら数日に分けてもう一度作品を視てみようかと計画中です(笑。実は入院中なぜだか∀ガンTV放送されてたんですよね。夕方にはナディアも放送されていました。

クロスボーン・ガンダムの件、感謝です><。原作者が監修に加わっている漫画版続編・・いつか読もうとそのまま読んでないものがかなりありまして・・(ナウシカや聖闘士星矢モノやキン肉マン)。

体調の件ですが、あっちこっち病院回った結果大学病院で検査を受ける事になったのですが、幸いガン化はしていないようです。アレルギーも見つからないので原因がわからないと頭をひねらせていましたが・・。どうなるかよくわかりませんが、とりあえずホッとしてます。薬の副作用も比較的少なく、長時間だったり激しい運動だったりしないのであれば働いてもいいという許可まで出ました。食欲もガンガンです。早くラーメン食いたいです(福岡に生まれ育った者として)。

来週あたり感想が書ければと思います。読むに耐えないものになるかもしれませんが・・。できるだけ短くしたいと思います。・・できるかなぁ・・。
| ミント | 2008/05/26 6:03 AM |
ミントさん。こんばんは。読み応えがあるといってくれて嬉しいです。
書いてるこっちとしても、書き応えがありすぎて、「君主論」の完成稿が上がった直後などはぐったりしてしまうくらいだったり…。

もう一度作品を見てみようと思っているとのことですが、僕もひさびさに「君主論」のつづきを書くために、頭から全話再視聴して、脳みそを黒歴史へ戻さなければいけませんでした。
見るたびに様々な切り口が見えてくるということが、この「∀ガンダム」の魅力だと思うんですが、おかげでグエン論も、以前に書いたこととは見事に矛盾してる部分があったりなんかして。その10の頃には自分の目的に利用できる他者のみ受け入れる男だ、みたいなこといってたのになあ…。今から考えるとアデスカの民は、彼にとっては“他者”どころじゃなく、地球社会の保守性や後進性を象徴する“身内”であり、だからこそああいう態度だったんだろうな、と。
そういう矛盾は探せばいっぱいあるでしょうが、どうか探されたりしないことを控えめにお願いしておきます…ほんとは強くいいたいところですが。

お身体のことはずっと心配だったのですが、とりあえず最悪の事態ではなかったということでほっとしました。ブログも再開されたようですし、感想を読めるのを楽しみに待っております。
とはいえ、くれぐれもご無理のないように。
| memento | 2008/05/27 9:54 PM |

コメントする










この記事のトラックバックURL

http://memento01.jugem.jp/trackback/244

トラックバック