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2011.03.22 Tuesday

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鶴田謙二「Spirit of Wonder」

2008.03.11 Tuesday 21:06
 先だっての広川太一郎さんの訃報を聞いてから、広川さん出演作品を見返そうと思っているんですが、あの名作「未来少年コナン」の後番組ということで、なんとなく闇に埋もれてしまった感のある「キャプテン・フューチャー」のDVDはリリースされないのかなあ、と。
 まあ、海外古典SF原作物アニメというのは、どうも受けが悪いようで、「レンズマン」なんかもそんなにヒットしなかったらしいし、期待薄な気もしますが。原作のキャプテン・フューチャー・シリーズは、僕はハヤカワSF文庫で読んだクチですけど、2004年に創元SF文庫から「キャプテン・フューチャー全集」として刊行されており、しかもその表紙と挿絵を手がけているのが、あの鶴田謙二氏とのこと。
 だから、というわけでもないんですが、ひさびさのコミック紹介は、その鶴田謙二の最初(厳密には違いますが)の単行本、「Spirit of Wonder」です。

 ↑で“厳密には違いますが”なんていってるのは、実はこれに先立って「The Spirit of Wonder」という単行本が刊行されてるからでして。つっても内容はおんなじですけどね。てか、連載時「The〜」だったのをまとめて単行本で刊行した後、未収録作品を加えた完全版として、“The抜き”のタイトルで刊行し直したという…ややこしいな、おい。
 しかし、紹介するはいいものの、たぶん今じゃこれ、古本屋でしか入手できないんじゃ? アニメ化もされたし、「アベノ橋」みたいにヒットした作品の原案者のデビュー本でもあるんだから、「キャプテン・フューチャー」みたいに再刊してくれたっていいと思うんですけど。
 かくいう管理人も、“The抜き”を持ってたはずなんですが、家のどこかにしまったきり行方知れずとなっております…アハハハハ。ごめんなさい、鶴田先生。
 さて、唐突に話題は変わるんですが、最近とみに、
「空気を読め」
 といういい方がされますよね。まあ、僕もしばしばいったりもしますが、TVのお笑い芸人なんかが、客に向かってこれをいい出した辺りから、個人的には早いとこ廃れてくれんかなあ、と思ってます。
 “空気読み”を他人に要求するってことは、空気になることを要求することでもあるんで。つっても、人間は社会的動物なんだから、国とか会社とか学校とか家族とかいった、共同体や数の集まりにおいて、その安定のための機能を担う役割を持つのは、当然ではあるんですけど。
 しかし、個人が個人である以上は、共同体維持の機能面からいって、いささか逸脱してしまうファジーさは、当たり前にあるわけでして、他者への空気読みの要求は、そこら辺の“個として然るべき逸脱”を許容し得ないという意味で、なんつーかこう、全体主義的なカラーを帯びちまうもんではありますね。せいぜいが邪魔にならず、不快にならない程度の自己主張をのみ認める、というような。
 個性だアイデンティティだ自己主張の強い言葉が、始終口にするには恥ずかしすぎるのは確かですけど、安定が美徳であり、利潤の追求が人生の目標となってしまってる(それが一概に悪いことではないのは当然ですが)時代にあっては、同じように自己主張の強く、逸脱志向の言葉…たとえば“夢”なんてのが、ひどく懐かしく感じられるのも、また確かです。
 そういや、
「空気を読め」
 がいい出される以前には、まだ割りと本気で“夢”って言葉が生きていたんですよね。今は“自己実現”みたいなのに換言されてんのかもしれませんが、個人的には夢っつーのは、それこそロケット自作して宇宙に飛び立ってアルファ・ケンタウリまで航行してやるとか、それくらいのスケールのもんであってほしいし、自己実現なんてコセコセした響きの言葉とは、一線を画したい思いです。
 “センス・オブ・ワンダー”もまた、自己主張の強いワードだと思うんですけど、そうであるがゆえにこの言葉で表されるイメージは、いまや紛れもなくレトロと化しています。
 鏡明氏の“クズSF発言”が論争を巻き起こしたのは、90年代の後半だったか…あれはSFという文学ジャンルがその役割を終えつつあることの、鏡氏なりの表明だったと僕は受けとっているんですけど、逆説的に人々が期待をかけたノストラダムスの予言が外れ、アポロ計画が現役だった時代に生まれた、僕ら世代の人間が思い描き、憧れた、輝かしい未来とはあまりにかけ離れた21世紀が到来したのと同時に、SFの夢、センス・オブ・ワンダーは過去のものになってしまったのかもしれません。P・K・ディックや80年代のサイバーパンクが、すでに現在の延長としての未来を描いてましたけど、あれらは夢とは無縁のものだしねえ。

 さて、この「Spirit of Wonder」は、2001年以降の空気からすれば、レトロというほかない夢が描かれてます。科学が明るい未来をつくるであろうという、無邪気で楽天的で希望に満ちた、SFというよりは“空想科学小説”的な夢が。
 それがすでにレトロであることを受け止めつつ、あえて時代の空気化を拒むスタンスは、いささか子供じみてはいます。そして、この本に収録されている12編の短編に登場するキャラクターは、どいつもこいつも空気の読めない…いや、空気読みなんぞにはNoを突きつけるような連中ばかりです。
 特にそれが著しいのは、「少年科學倶楽部」、「少年科學倶楽部火星へ」の火星マニアの爺さんたちでしょうか。この二編は、“チャイナさん”シリーズといっしょにOVA化されたんで、ご存知の方も多いでしょうけど、アニメ化時の宣伝コピーは、
「いざ行かん! エーテルの風に乗り、夜空に輝くあの火星へ!!」
 でした。エーテルときたよ。おまけに火星だよ。きっとこの作品世界では大マジで火星人が存在してるんでしょうし、パーシヴァル・ローウェルの運河もあるんでしょう。火星人はもちろんタコ型か、でなきゃデジャー・ソリスみたいな半裸の美女に違いありません。
 内容も、エーテル気流理論なる学説に基づき、“少年科學倶楽部”の面々(つっても、ヒロインのウィンディの旦那であるジャック以外は、みんないい年こいた爺さんですが)が、エーテル飛行船に乗って火星へ旅行しよう、というものです。火星にいった爺さん連中が、本当に火星人に会えたかは、ネタバレになりますんで割愛。
 さらに、しょっぱな収録の「広くてすてきな宇宙じゃないか」(作者の商業デビュー作)は、温暖化で水位の上昇した近未来の浜松を舞台に、アインシュタインそっくりの祖父さんの遺したお宝を、孫の舞子が探すお話。しかも、そのお宝の場所を記した地図が、あぶり出しだったり逆さ文字だったり。「満月の夜月へ行く」は、竜巻発生装置やら瞬間物質移動機やら怪しげなものを発明する“ファーブル”博士と、その孫の“ドリトル”、アンドロイド・メイド(!)の“アリス”のお話。
 ほかにも、冷線砲なるいかにもレトロな発明品で氷漬けになった植木田均博士(ネーミングからわかる通り、元クレイジーキャッツの、今は亡きあの方を彷彿とさせるキャラ)が、奇跡的に生き返って、「広くて〜」の舞子と心の交流をはかる、しみじみした味わいの「潮風よ縁があったらまた逢おう」、“フェッセンデンの宇宙”と呼ばれるミクロ宇宙を利用して、はるか彼方の星にいる恋人に逢いにいくヒロインを描いた、「星に願いを」など、センス・オブ・ワンダーの楽しさにあふれた短編が詰まってます。や、もちろん“チャイナさん”シリーズも忘れちゃいけませんけどね。
 しかし、少年科學倶楽部といい、舞子の祖父さんといい、植木田博士やブレッケンリッジ博士、助手のジムといい、この短編集には、“いい年して”子供の夢を持ちつづけ、そのせいで他人に迷惑かけたり心配させたりしてる人たちには不自由しませんな。そういうのを端的に、”変人”と呼ぶんでしょうが。
 人は大人になるにつれて、分相応というものを覚えて社会化していき、世の中とか世間とかに対して、邪魔にならない存在に…“空気”になる術を覚えるもんですけど、この「Spirit of Wonder」の登場人物たちは、その意味では、どこかで空気になり損ねた人たちだといえそうです。
 でも、SFって本来そういうものなんですよね。SFとは未来を描くものであって、未来を無邪気に信じられた時代、僕もほかの多くの子供たちと同様…そして作中の変人たちと同様、ヒューゴー・ガーンズバック的未来の到来を夢見ていました。
 かつて、“21世紀”という言葉は特別な響きを持ってました。フレドリック・ブラウンの「天の光はすべて星」の中に、元ロケット乗りの主人公が、酔っ払って2001年を迎えた日、最初に見た相手に、
「今は何年だ?」
 と訊ねる場面があるんですけど、これはつまり、主人公にとって2001年という年が特別なものであり、未来を考えるときに、常にその年が指標にあったということで。それは僕にとっても、いや、僕と同年以上の多くの人たちにとっても、同じだったでしょう。
 21世紀とはかつて、はるかに遠い未来のことでした。それが本当に訪れるとは、信じ難い気持ちにさせるほどの。
 そして新しい世紀には、なにもかもが進歩と挑戦と可能性に満ち溢れ、なんでもできるし、どこへでもいけるし、目の前にはこれまで見たこともないような、新しい景色と出会いが待っていると、僕らは信じて疑っていませんでした。
 少年だった頃、21世紀には…自分が大人になった頃には、月旅行くらいは当然実現していて、僕は奥さんもらったら新婚旅行で月へいこう、とか、そんないかにもなこと思ってました。それをいったらリアリストの姉から、
「月なんかいってなにが楽しいの?」
 とかいわれましたけどね。ったく、これだから夢のないやつは…。
 残念ながら、いまだに民間の月旅行は実現されておらず、宇宙開発自体が停滞しちまってるのが現実なんですが。ついでにいうと、いまだに結婚できていない現実もトホホな限りですが。夢のないこといってた姉のほうが、さっさと旦那もらって一児の母になってるところ見ると、空気化を拒む時代遅れな生き方は、やっぱり得とはいい難いようで。
 けどまあ、賢い人生送れないのはとっくの昔にわかってたことだし、いいんすけどね。それに僕は、いまだに月にいく夢はあきらめてないですからね。
 人生の残り時間がどれくらいあるかはわかりませんが、それを使いきるまでに月面に自分の足跡を残す機会が、絶対に訪れないとは、誰にも断言できないことでしょう。
「悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見出す」
 といったのはチャーチルですけど、困難な時代を楽観して生きる術とは、勇気と野心と想像力、そしてガキンチョの夢を持ちつづけることではないでしょうか。「Spirit of Wonder」を読むと僕は、未来が色褪せず輝いていた時代の夢の名残が、自分の中に生きていたことを発見して、ほっと安堵するような気持ちにさせられます。そして、まだ俺はこのままでいいんじゃないかな、という気持ちにも。
 “空気”なんか糞食らえ。





↑鶴田作品は入手しにくいのが最大の難点なんで、再刊、増刷を希望する管理人によろしければ拍手でも。





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