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世の風潮も時代の流れも無視して、ただ思うままくっちゃべる徒然ブログ。

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2011.03.22 Tuesday

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ひとりの少女の尊厳について

2008.02.18 Monday 16:13
 さんざん書くべきかどうか迷いましたが、結局書くことにします。

 夜8時半は別に深夜ではないでしょう。沖縄にいったことのある人ならご存知でしょうけど、その時間帯なら地元の人にとっては、宵の口とさえいえない頃です。だから中学生の女の子が、友達と繁華街を歩いていたって、不思議じゃありません。
 初対面の米兵のバイクに乗ったという行動も、それを軽率と呼びたいならば、呼ぶことはできるでしょうが、実際問題僕らだって、似たようなことはするんじゃないでしょうか? ナンパして女の子を車に乗せた、なんて男は掃いて捨てるほどいるし、掃いて捨てるほどの数だけ、初対面の男の車に乗ってしまう女だっています。そうした女のすべてがレイプされるわけではないし、ナンパ男のすべてがレイプに及ぶわけではなく、ほとんどの場合は合意の上での行為になるってだけの話です。
 初対面の人の誘いに乗るのが危険だというなら、オフ会にいくのは避けるべきでしょうね。オフ会に参加した人が、必ずレイプされるわけではないものの、だからといって、レイプされない保証はないんですから。その日初めて会う人の集う場所へいくのなら、当然レイプ被害も含めたトラブルも想定していて然るべきです。いっときますけど、僕は別に女性限定でいってるんじゃありません。男性のレイプ被害だって、ごく当たり前にあるんですし。
 あるいはこの事件の場合、米兵、つまり“アメリカ人”の犯行であることが、一部の人の目に刺激的に映るのかもしれません。オブラートなしではっきりいってしまえば、日本人男性のコンプレックスを刺激するのでは、ということですが。
 ま、僕も日本人男性のひとりなので、その気持ちはわからなくもありません…どころか、非常によくわかるし、もし目の前で、日本人女性が白人だか黒人だかに誘われるままホイホイついていくのを見たら、ケッと唾のひとつでも吐きたくなるでしょう。
 といって、ナンパな外人男のすべてがレイプ魔ではなく、そういう男についていく女が、すべからくレイプされるわけではないのは当然です。
 また、いくら沖縄で米兵の犯罪が頻発しているからといって、米軍人すべてが犯罪者ではなく、地元の人たちも、そんなつもりで彼らに接してるわけじゃないのも、これまた当然の話です。ウチナーから遠く離れた本土に住む僕らは、沖縄で米兵と聞いたら、ほとんど反射的に、
「またなにかやらかしたのか」
 と思うわけですが、地元の人たちにとっては、厄介な問題を起こす、厄介な連中として以外の彼らの姿があり、同様に、日米安保のための政治的カードとしての軍人たちではなく、生活の一部であり、セックスも含めた生きた人間としての、彼らの存在があるわけです。
 もしある女性が、日本人外国人を問わず初対面の男性の誘いに、“軽率”にも乗った挙句レイプされたら、
「あなたにも落ち度があった」
 と、その女性に対して、あなたはいえるでしょうか?
 僕の答えをいうなら、Noです。いくらなんでも。
 そして、もし仮にそういうことを面前でいうやつがいたら、そいつを殴らないでいられる自信はない、と申し上げておきます。

 犯罪事件で加害者の行為を責めるのは、責めるべくしてそうするものです。なぜならこの国は法治国家なんですから。
 実際に法の機能が万全かどうかはさておき(今回のケースでは地位協定という大きな障害があるわけですし)、建前は建前として機能しなくてはならないわけで、“罪を憎む”ということはそれが根拠になっています。
 では、被害者を責めることは? その本人の過失や落ち度を責めるとき、それができる根拠というのはなんなんでしょう?
 犯罪が発生する状況において、被害者の行動にその誘発の因子があるということは、当たり前に考えられることだから、それを根拠とすることも、まあ不可能じゃないでしょう。とはいえ、同じような状況に立ったとき、同じような行動を、非難する側がとらない、という、保証なり確信なりがあるかは、また別の話ですが。
 さらにいうなら、犯罪を含むトラブルの発生する状況の現実を認めることと、その現実を当然とすることとは、イコールで結べることなのか? ということもあります。ヨハネスブルグじゃ買い物にいくのにも命がけだそうですが、命がけで買い物にいかなくちゃならない現実を当然とするなら、法治国家の建前は崩れ去るしかないでしょう。現実はどうあれ、“建前としては”、誰もが安心して、身の危険など感じずに買い物できる状況がなくてはならないんですから。法治社会である限りは。また、そう志向する限りは。
 むろん、個人があくまで個人の意見をいう場合には、なにも常に建前を述べなくちゃいけないわけじゃありません。ただし、これもいう相手というべきタイミングや状況を選ぶことが最低限のマナーであって、中学生以上ならそれくらいはわきまえていて然るべきでしょう。
 まして、れっきとした大人が、ジャーナリストを自称する人が、公のメディアを使って、いいたいことをいえるわけではありません。
 レイプ被害者の過失を指摘する人のものいいには決まって、
「むろん、犯人は許されるわけではないが…」
 なんて枕詞がつくんですけど、そういう人は、実際のレイプ事件の裁判で、被告弁護側が用いる常道が、まさに被害者側の過失を追求することだって知らないんでしょうか? そんないじましいエクスキューズをするくらいならはっきり、
「過失を犯したんだからレイプされて当然だ」
 といえばいいのに。あるいは、
「法治社会なんて糞食らえ」
 でもいいですけどね。
 たいていの人は、自分で思っているよりはよほど愚かで、過失というものも、実際にそれを犯す直前までは、絶対に犯すわけがない、と確信しながら、結局は犯してしまうものです。
 そして、どんな人間も完璧ではあり得ないという意味で、被害者にまったく落ち度のない犯罪事件などはありません。
 自分だけは間違わないと自信満々で思いながら、同じ過ちを繰り返す人のなんと多いことか。そしてそれを自覚しない人のなんと多いことか。他人事じゃなく、僕自身がそういう人間のひとりであるからこそ、この事件の被害者を笑うことも、責め立てることもできないのですけど、これを読んでいる人の中には、自分はできる、とおっしゃる方も、あるいはいるかもしれません。
 それを疑う理由は僕にはありませんが、ひとつだけいえることならあります。
「後からならなんだっていえる」
 と。

 こういうふうにいったからといって、僕はなにも見知らぬ男の車に、女の子が乗ってもいい、なんていってるわけじゃありません。ただ、僕が道徳だかしつけだかの問題を語りたいときには、それ単体で語るでしょうし、例を挙げるにしたって、それなりの配慮をするでしょう。
 少なくとも現実に起こった、被害者もいるレイプ事件を引き合いに出して、すでにじゅうぶん傷ついている、被害者の“落ち度”を指摘することで、それを語ろうとは思わないでしょう。
 日米同盟が重要だといいたいなら、それはそのこと単体で訴えればよろしい。今回の事件での報道がヒステリックな論調に傾いているといいたいのなら、もう少し頭を冷やせといえばいい。
 なぜ、少女の“落ち度”にまで言及する必要があるのか。その“落ち度”が、本当に事件を引き起こした決定要因だったとして、それを悔やんでいるのは、ほかならぬその少女自身だろうということに、思い至らないのか。
 政治的には常にノンポリで、社会問題にも大した知識もない僕にとっては、日米同盟だ基地問題だはよくわからん話だし、本当に真剣な関心があるともいえません。
 今の僕が関心を寄せているのは、辱められようとしている、ひとりの少女の尊厳の行方、ただそれだけです。


 追記
 ぜひこちらもご覧になってください。一応僕も、コメント欄であれこれと言及しています。


 さらに追記
 だんちさんに教えていただいたのですが、声優の浅野真澄さんが、二人の暴漢に襲われかけたときのことを語っておられます。
 こちらの、2007年1月20日「トラウマ」と題された日記をお読みください。
 ちなみにそのときの警察の対応は、
「何もされなかったんなら事件じゃないし、何かあったらまた連絡して下さい」
 だったそうです。




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心にうつりゆくよしなし事 | comments(4) | trackbacks(0)

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2011.03.22 Tuesday 16:13
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コメント

ここ(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080217/1203232663)でも言及されていますが(私に対してではありませんが)、被害者にとって私が書いたエントリーは、沖縄県民の尊厳、過去の米軍による強姦事件と並べる事によってこの事件を、ひとりの少女の尊厳を相対化させてしまっています。「セカンドレイプだ!」「その立場に立て!」等と偉そうな事を吠えておきながらこの体たらくです。反省した所で許される事ではありません・・。今後こういう書き方がしないよう気をつけます。
| ミント | 2008/02/19 7:28 PM |
コメントでも述べましたが、この事件には、沖縄という地域の特殊性やその歴史等といったことも絡んでくる側面があるように思います。また現実問題として、基地問題や日米安保体制の構造等と、切り離して語ることも難しいでしょう。“ひとりの少女”ということに焦点を絞るべく、僕の記事では切り離して語ってますが。

ひとりの少女はひとりの少女であると同時に、沖縄に数多くいた、同じ悲劇を見舞った人々のひとりでもある…というのは、矛盾するいい方なのでしょうが、そういう視点もやはり必要な気がします。本質を見誤らないよう、慎重にバランスをはかる必要はあるにせよ。
少女の悲劇をその他の沖縄で起こった悲劇のうちに含めることで、本来考慮されなければならない、この事件の固有性、他の事件との差異が見失われてしまう、というのはおそらく本当でしょう。
とはいえ、沖縄問題はそれ自体が固有の問題です。僕ら本土の人間が今回の事件にアプローチするとき、視野を“ひとりの少女の悲劇”という狭い範囲に絞るか、それとも、“沖縄問題”というところにまで広げるか…それは結局、個々人の関心の持ち方の違いに帰するものなのではないでしょうか。
また、対象が沖縄であれ、被害者の少女であれ、所詮僕らはその対象からすれば、“外部”の存在でしかない、ということもあります。本当の意味で、対象の悲劇の固有性を、僕らが理解できるなどとは、考えないほうがいいかもしれません。

ようするに、僕も同じ穴の狢だ、ということです。
| memento | 2008/02/20 11:40 AM |
難しいところですね。少なくとも自覚はしておくべきでした。前からこういった事件を逆・政治利用する流れが有るようですけど、なんか妙でイライラするのですが、そちらに感心を寄せすぎるのもその連中と同じ愚を犯している事になる様です。

追記の浅野真澄の事、まったく知りませんでした。これひどいなぁ・・
| ミント | 2008/02/21 2:46 AM |
難しいですよねえ…。
僕の本音としては、よほどのことがない限りは、政治やらなんやらには、首を突っ込みたくない、という気持ちだったりします。

ますみんの日記は…これは…ねえ。
レイプ犯罪は殺人未遂みたいなものだ、と、だんちさんはおっしゃってたんですけど、そういう捉え方が適切なんじゃないでしょうか。
レイプ被害者の落ち度をいう人というのは、レイプをセックスの行為のひとつだとでも考えてんじゃないか、という気がしてしまいます。
| memento | 2008/02/21 7:37 PM |

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