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レ・ミゼラブル 少女コゼット 第50話「永遠のリング」

2007.12.18 Tuesday 12:25
 ツンデレ爺いはデレ全開で上機嫌でしたが、何気に伯母さんの台詞は一言もありませんでした。なにかとマリウスのこと気にかけてたいい人なのに、結婚は先越されるわ存在は無視されるわ、不憫というほかありません。

 弁護士の資格がとれたということで、実家を出て働きたいというマリウスに、ジルノルマン爺さんが反対してんのは、典型的なアンシャン・レジーム(旧体制)世代の人間である彼からすれば、働くなんつーのは平民のやることだ、という考えがあるからでしょう。
 名家にして資産家たるジルノルマン家の、しかも一応親父から男爵位まで継いでいる孫が、弁護士稼業(当時はものすごく体裁のいい職業というわけでもありませんでした)なんぞで食い扶持を稼ぐなどとんでもない、っちゅーことですな。
 んだけど冒頭ジャン・ヴァルジャンが、やっと完成の近づいた学校を前にして、最初は給食目当てでも、教育を受けることで自分で食う道を見つけられる、とモノローグしてたように、すべからく国民は基礎教育を受けて、職業を得、それを通じて社会活動に参画する、という新時代の生き方が、すでにして定着しつつあるわけでして。革命は失敗したけど、封建国家から国民国家への移行は確実に進んでる、って感じでしょうか。
 新時代っていえば、学校の次は鉄鋼工場を興すみたいなことヴァルジャンはいってましたが、いっそのこと原作改変して、資本家として大成功する彼ってのも、見てみたい気もします…や、黒ガラスですでに成功はしてるんですけど。
 ほとんどの視聴者がコゼットとマリウスのウェディングに注目して、まっとうに楽しんでるであろうというのに、なんでかふたりの保護者たる、爺さんたちに目がいってしまう管理人ですが、いかにも貴族的に享楽的かつ楽観主義的なジルノルマンは、頑固さ氷解してからはえらく親切で鷹揚で、気前よくなってます。
「王政も共和政もない。すべての人間が豊かに、つまり愉快になることをわしは望んでおる。未来は楽しいものでなくてはいかん」
 ってのは、内罰的なヴァルジャンとは好対照だよなあ。
 まあ、ヴァルジャンはもともと生まれ育った環境と、なにより彼の過去が起因して、その性格は自己に対しては内罰的に、他者に対してはいくぶんか閉鎖的なものとならざるを得ないんですけど、ジルノルマンのほうは、ときとして横暴なほど率直に、自己の感情を発露させることからもわかるように、他人に壁をつくらない、オープンな、無邪気といってもいい爺さんなんでしょう。上記の、すべての人間が豊かで愉快にうんぬん、ってのも、現世的享楽や快楽も自然に肯定できる、そしてそれらが人の幸せにつながると信じて疑わない、それこそ幸せな性格を表してるんじゃないかと。
 しかしヴァルジャンみたいな、“正しく生きること”を自己の至上命題としている人間は、ジルノルマン的な意味じゃ幸せにはなれないんですよね…聖人的求道的な生き方というのは、実は非常に欲の深い生き方なのかもしれません。
 過去に罪を犯した事実があり、その罪悪感に苦しめられてる以上、“正しさ”を遂行するのに、ヴァルジャンは息を吸うようになんの苦労もなく、というわけにはいきません。善良であることがどういうことなのかを頭で考え、理解し、実践することでしか、善良さを我が物とできないというのも、なかなか不器用な話ですけど、才能とは考えなくてもできることなんだから、ヴァルジャンは善良さにおいては才能がない、ってことなんでしょう。少なくとも本人はそう捉えています。
 コゼットなんかは、考えなくても自然に善良でいられる…つまり“才能がある”タイプなんですが、マリウスも、ジルノルマンもそのタイプだとしたら、彼らのつくる幸せや満足をそのまま享受したところで、自分も同じように幸せにはなれないとヴァルジャンが考えるのも、無理のない話です。いうまでもなく、幸せなんてのは人それぞれで受けとり方も、意味も違ってくるものなんですし。
 彼の幸せとは、自分の悪と弱さを克服することですが、そんな彼と、悪にも弱さにも先天的に縁のないコゼットとじゃ、求める幸せの定義が違うのも、当たり前で。でも、ジルノルマンなんかには、これは理解しがたいことかもなあ。すべての人間が愉快であることが幸せだ、と、単純に信じられる人には、愉快になることをやましく思う人もいる、なんて事実は、想像を越えてるんじゃないかという気がします。
 前回感想でエポニーヌの自我の弱さについて、ちょこっとだけ述べましたが、彼女やヴァルジャンのような、己の弱さを自覚し、それをなんとかしたいとあがく人間の苦しみは、そうした弱さを持たない人間には、非才の苦しみを才能ある者が理解しがたいように、なかなか理解の及ばないことなのかもしれません。
 同様に、“才能のない”人の求める幸福のかたちも、理解できない人には理解できないでしょう。享楽に身を置くことのほうが、よほど苦痛なこともあるということ…それゆえに傍からは幸せそうに見えながら自殺してしまったり、ブッダみたいに王位を捨てて苦行に走ったり、ボランティアに没頭したりする人が、昔から絶えないということは、幸福のあり方は様々であるという、単純といったら単純な、しかしそれをきちんと理解するのは案外とむずかしい真実について、あらためて考えさせられます。
 とにかく、ジャン・ヴァルジャンが娘の幸せの絶頂の中で、あえて彼女に背を向け去ろうとしているからといって、イコール彼を不幸な男だということはできないでしょう。また、そんな彼をコゼットやマリウスが引き留め、自分らの幸せの中に無理やり引っぱり込んだとして、それで彼が本当の意味で幸せになれるかは、大いに疑問に感じられます。

 今回、結婚式は大きな見せ場だったものの、不満もわずかながらないこともありません。
 あの下水道の回で、テナルディエがヴァルジャンのことを気づいてた、ってのは、このエピソードで唐突かつ急ぎ足で処理しすぎな感じもします。残り2回という段階でこういうのを出してくるってことは、当然この後それに関連した大きな山場が控えてるということですが、その山場となるきっかけにしては、どうにも印象に残らないっつーか…まあ、結婚式の大イベントとの合わせ技じゃしょうがないかなあ。でもこれ、第45話の時点で出してて、なんか不都合があったかなあ。
 これと同じく、おかみとアゼルマについても、今まで放置状態だった割りには、えらくあっさりとその退場が処理されてる辺り、いささか拍子抜けな感は否めません。キャラの死はあっさり描写でいいとしても、生きてるキャラに関しては、それなりに手をかけて去就を描いてほしい、というのは、僕の個人的要望といったらそれまでなんですけど…でも、原作では死んだキャラを、あえて生かしたのなら、その“あえて”の部分を、ちゃんと見せてほしい、ってのがあるわけでして。
 実際のところ、子供向け作品であんまり人死にが出ると、陰惨になりすぎるから、というのが本当の事情でしょうが、そういう事情も物語的に綺麗に帰納させることも、作劇の技術の範疇ではないかな、と思います。

 ま、でもぶっちゃけ、「少女コゼット」という、コゼットを主役に据えた物語としてはグランド・フィナーレである今回は、ヒロインの華やかで幸せなウェディングを、華やかで幸せに描いてくれりゃいいんであって、んな細かい欠点はどうでもいいやって気もします。物語には小手先の作劇術どうこうより、真正面から“娯楽”を見せることのほうが優先されるべき、優先されなければならない場面というのもあるわけでして、今回なんかはまさにそれでしょう。
 この回で視聴者が見たかったのは、ストーリーよりなにより、ヒーローとヒロインの結婚式なんだから、その場面がみすぼらしくなく描かれてれば、それでじゅうぶんかな、と。作画は全般的に良好というわけでもありませんでしたが、結婚式はきちんと“娯楽”として鑑賞に堪えるものになってました。キャラソン(らしきもの)を被せるのは、僕的にはあんまり好みじゃありませんが。
 それにしても、一年間の長きに渡ってつづいたシリーズだけに、コゼットがついに結婚するという事実に、なんだか自分がジャン・ヴァルジャンになったような、娘を嫁がせる父親みたいな、そんな気持ちを覚えてしまいますな。
 アニメのヒロインにこういう感慨を覚えるのは、ここひさしくなかった気がしますが、今のご時勢は4クールかけて大河ドラマをやってくれることなんて、めったにない(じゃなかったら、いつまでたっても終わらないアニメがあるかのどちらか)んで、作中登場人物に対しての感情移入のあり方も、ずいぶんと新鮮な印象がします…って、本来はこっちのが普通なはずですが。
 長けりゃいいってもんでもないのは当たり前ですけど、この「コゼット」みたいに、4クールの尺で退屈したり、切りたいと思ったことが一度もない作品というのは、やっぱ貴重というべきでしょう。この先の展開が妙な具合になることは、ここにきてないとは思いますが、たとえ妙なことになったとしても、僕の中ではすでに名作認定が決定してますんで。てか、もとから名作劇場か。原作が名作でもそれをもとにしたアニメが名作になるとは限らないのは、昨今顕著な傾向(原作物がやたら増えた、ってことでもありますが)ですけど、1クール、2クールといった尺の問題がそれに大きく影響してると考えるのは、おそらく僕だけじゃないでしょう。
 とにかく、原作には
「その幸せはわたしの生涯の目標だった。コゼット、おまえは幸せだ。わたしの日は終わったのだ」
 ってヴァルジャンの台詞があるんですが、今の僕もそんな気分です…この台詞が使われた場面のニュアンスとは大幅に違う気持ちではありますけど。
 残り2話でこの大河ドラマがどんな決着の仕方をするか、興味深く見守らせていただきます。





↑まさか「続きはWEBで」なんてことにならんだろうな、と思いつつ、ぶっちゃけ今回はBIGLOBEで見た管理人に、拍手でもどうぞ。





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