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レ・ミゼラブル 少女コゼット 第48話「コゼットとマリウス」

2007.12.03 Monday 22:07
 サブタイがすべてを物語っているように、ヒーローとヒロインが結ばれて、めでたしめでたしなお話…と思いきや、幸せ確定な若者たちを前に、その幸せの中に自分の居場所のないことを予感する、老いた罪人ジャン・ヴァルジャンの、苦悩と迷いも平行して描かれてました。

 作画は復活の模様。よかった。恋愛メインのエピソードで作画がきついのは、個人的にちょっと…どころでなく、いただけないもんがありますんで。
 今回は特に、コゼット&マリウスの、実にまあ紆余曲折ありまくり、時間と話数と視聴者の忍耐力使いまくりの恋愛エピソードが、ようやくにして決着つくお話なんで、これで主役たちの顔が歪んでたら、悲惨というほかありませんでした…頬染めたコゼット可愛いよ。後、マリウスも今回はさすがにかっこよかったよ。なんだかんだでこいつも立派になったよなあ。リュクサンブール公園でのプロポーズの場面見てると、同じ場所でかつて、彼女に話しかけようとして結局できずに帰っちまったへタレぶりからは、別人の感がありますな。
 とりあえず当人同士が相思相愛な上、両家の親御さんたちも結婚には大賛成、家柄とか身分とか外聞とかいった、この当時の結婚についてまわる、面倒な問題もクリアしてるとあらば、くっつかなかったらどうすんだよ、おい? てな話ですが、今後はガヴローシュやユーグ、ブレソールたちはマリウスのとこに引きとられるんでしょうか? 新米弁護士の稼ぎでそんな大家族養えるのかなあ? ま、いざとなりゃ実家に頼ればいいか。自分の力で生きていきたいとか、ヴァルジャンといっしょに貧しい人たちを援助したいとかいってるけど、お爺さんを頼るのも悪くないんではないか? つか、たまには甘えてやるのがデレ爺い孝行ってもんだろ、マリ。
 なんにしろ、この「少女コゼット」のシリーズ前半の展開から考えると、およそ信じられないほどの、全方向ハッピー展開になってるんですけど…いや、ひとりだけハッピーになれない人物がいたっけ。そう、放映開始以来、悩みに悩んできたジャン・ヴァルジャンが、視聴者の90パーセント以上内心で、
「いや、もうじゅうぶん悩んだろ。なんでここにきてまた」
 と感じているであろうにも関わらず、悩んでます。
 コゼットとマリウスとでマリの命を助けた謎の人物(=ヴァルジャン)を探し、様々な手がかりから未来の義父フォーシュルヴァン氏がそれではないかとの推測にたどりついたものの、当人が関わりを否定してしまったのも、コゼットに本当の素性が知られるのを彼が恐れた、ということ以外にあるように思えます。つまり、自分自身の忌まわしい過去と罪が、若いカップルが今つかもうとしている幸せの上に、一抹の影を落とすのではないか、と懸念した結果なのではないかと。
 んな馬鹿な、過去を知ったからってコゼットが父親への考え方や態度を変えるはずがない…ってのは、理屈ではその通りなんですが、でもこういうのは、なによりその過去や罪を抱えている当人の内面の問題であって、それを知った相手がどう思うか、っていうのは、実はあまり関係なかったりするんですよね。
 この「コゼット」の感想で今まで何度も述べてきたことですが、ジャン・ヴァルジャンが人々のために尽くすのは、公共のためではなく、あくまで個人的な思いによるもので、そしてその行動原理は彼がミリエル司教に出会い、贖罪に生きようと決心したときから一度も変わってません。利他に生きてるようで、実はひたすら己のためなんですよね。その意味じゃ逆説的に見えますが、ヴァルジャンは非常にエゴイスティックな男だといえるかもしれません。
 今回のエピソードにしても、見ている側にすれば、どうして彼が悩まなくちゃいけないのか、いささか理解に苦しむようなところがあります。ジャヴェールはすでにヴァルジャンの追跡をやめており、捕縛される心配はない…今まではコゼットの保護者として、警察につかまることを避けなければならず、そのためには名前や身分や素性を隠す必要もあったんですが、ファンティーヌとの約束がマリウスに引き継がれた以上、それらの隠さなければならない秘密は、いまやさほど重大なものではなくなっています。
 彼個人の罪悪感にしたって、これまでの善行を思えば、もういいかげん楽になったってよさそうなもんだ、と誰でも思うことでしょう。意地の悪い見方をするなら、ヴァルジャンは罪悪感から解放されたくないのではないか…裏返せばその罪悪感こそが、今までの人生を支えてきたものだったから、それを失えば生きる目的も失われるようで、それを彼は怖れているんじゃないか? と受けとれたりもして。ぶっちゃけ僕自身も、そういう見方してもそんなに的外れじゃないだろうな、って気がしてますし。
 もし彼が、自分の過去を洗いざらいコゼットに話したとして…あるいは話さなかったとして、それでなにかが変わるでしょうか? ヴァルジャン以外の者たちにとっては、すでになんらの脅威でもない彼の過去など、はっきりいってとるに足らないことです。
 本人にとってはどんなに重く苦しい悩みも、他人にとってはそれがどうした? くらいのものでしかない、というのは、人間関係の現実において、いたって当たり前のことだし、だから、自分の不都合を自分で重荷と感じているだけならまだしも、他人にもその重さを分けようとする行為は、基本的には非常に鬱陶しく、迷惑なものとなるわけでして。
 わたしはこんな辛い目にあったんだ! わたしはこんな苦悩を抱えているんだ! と、直接的であれ間接的であれ、また意識的であれ無意識的であれ他人に訴えるというのは、本人的にはそれによって重荷を減らし幾分かすっきりできるでしょうが、訴えられたほうはその分だけ重いものを抱えなくちゃいけないという意味で、他人への配慮を欠いた、エゴイスティックな行為だといえるかもしれません。もちろん、ある程度胸のうちをさらして差し支えない相手になら、それもいいでしょうが、その相手がなにかができるわけでもない場合には特に、今度は悩むのは打ち明けられたほうになる、というのは、最低限心に留めておく必要があるのではないでしょうか?
 実際、そういう効果を期待して、やたら可愛そうがられようとする人間も少なからずいることを思えば、なにもかも打ち明けるのがいいことだとは、僕には思えなかったりもします。

 とはいえヴァルジャンの場合、すべてを話す、という約束を以前にコゼットとの間で交わしていることもあり…というか、そもそも自分がエゴと無縁でいられない、ごく普通の人間であることくらい、誰よりも彼自身が痛感していることでしょう。
 彼の善行もその動機の根本を探っていけば、実は彼個人のエゴイズムに起因するものだとわかったとして、それで善行の意味が変わるわけでもありません。第一、ほとんどの人間は、己のエゴを満たすために生きているといっても間違いじゃない…だけでなく、必ずしもヴァルジャンのように、エゴを公益に還元するかたちで活用できるものでない以上、彼を一方的に責められる人間など、果たしているのだろうか? との思いにもなります。
 彼が善行を積んでいる間はそのエゴの表れ方を評価し、彼が過去を正直に告白したいと望んだときには非難する、というのでは、ヴァルジャンという人間を理解していないことになるでしょう。
 結局のところ今までと同じく、ヴァルジャンは自分がどうしたいかで悩んでいるわけですが…過去の罪を背負った人間にとって、同じような罪のない人たちの幸せの中に入っていくのは、眩しいような、後ろ暗いような、そして、それでいいんだろうか? との疑問を抱かせるような、そんな気持ちになるものなのかも。それはおそらく、怖れといってもいいんだと思います。
 自分の存在が、彼らの幸せを破壊しはしないか? 実際に破壊はしなくても、“破壊するかもしれない”という不安に怯えながら、これからは生きていかなくてはならないのではないか? フォーシュルヴァンという名前を名乗る限り、最愛の者たちを道義もなく騙しつづける自責を、一刻ごとに感じないではすまなくなるのでは? そしてそのことが、これからもつづけようとしている人々への奉仕に対する信念を、揺るがせることになったら? それは、“正しい人”になると誓った自分の思いを、裏切ることになるのではないか?
 つまり、ジャン・ヴァルジャンという人間が、すっかり変質してしまったら…という怖れなんでしょうが、そんなことはあり得ない、と他人には思えたとしても、先に述べたように、他人がどう思うかはこの際あまり関係がないんですよね。あくまで、ヴァルジャン自身が自分をどう捉えるか? という問題なのですから。
 “コゼットを守る”という義務を負っていた間は、必要だから行ってきた嘘も欺瞞も、その義務がなくなった今、必要ではなく利己のための行為になるわけです。そしてジャン・ヴァルジャンは、自らにそれを許せる人ではないでしょう。

 昔私は生きるために、一片のパンを盗みました。そして今日私は、生きるために一つの名前を盗みたくはありません。
                (「レ・ミゼラブル」豊島与志雄訳 「第五部 ジャン・ヴァルジャン」より)

 原作の同じ章の別の箇所には、わたしは誰の赦免も求めてはいない、わたしが求めるのはわたし自身の赦免だ、というヴァルジャンの台詞があるんですけど、その言葉通りに彼は結局のところ、自分に従う生き方をするほかないのではないでしょうか。シャンマチウの件でアラスの法廷に向かう前の夜、彼は自らの素性を隠蔽するために、銀の燭台を処分しようとして、しかし、できませんでした。人間ならできることとできないことがあるのは当然ですけど、賢明さというのは、できることよりできないことを自覚することのほうにあるように、個人的には感じられます。
 ジャン・ヴァルジャンにとっては、ミリエル司教との約束を放棄することだけは、なにがどうあってもできないことなんでしょう。それができる、となったときは、彼が彼でなくなったときだといえるのだと思います。





↑とはいえ、ひとりで苦しみを全部引き受けようとするヴァルジャンに、もどかしさを感じるのも事実だったりする管理人に、よろしければ拍手でも。





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