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レ・ミゼラブル 少女コゼット 第44話「未来へのともしび」

2007.11.07 Wednesday 17:42
 ガヴローシュには救済フラグが立ったものの、その代わりなのかなんなのか、ABCの連中はぼろぼろに死にまくってます。しかも、彼らにゃ悪いですが、ほとんど一方的に政府軍にやられてて、革命やる側が結局具体的にはなにも成果を挙げられなかったところ見るに、“犬死に”という言葉が脳裏に浮かんできてしまったり…。

 ま、歴史を見ると、この六月暴動自体は蜂起しただけで失敗に終わるんですけど、先の七月革命、後の二月革命と合わせて、王政に止めを刺す流れがこれによって生まれたわけですから、結果論でいうなら、犬死にってわけではなかったんですけどね(ただ、この後、短命に終わった第二共和政、ルイ・ナポレオンによる第二帝政と、ABCの友が夢見た理想的な共和政体の実現までには、まだ長い道のりがつづきます)。
 しかし、物語を見ている多くの視聴者の立場としては、感情移入の対象である“善人”が、“悪人”に一矢も報いることなく、あっさり殺されていくのを見るのは、なにか釈然としない気持ちを抱かせられるもんです。これに似た感情を確か以前にも覚えたな、と思ったらアレだ、ファンティーヌのあの、あっさりすぎる死の場面でも、同じようなこと感じたんだった。
 マブーフ爺さんの死が、いささか過剰にドラマティックに演出されたことが、ここにきてやっぱりミスマッチに感じられます。「レ・ミゼラブル」のテーマからいったら、ファンティーヌや今回のABCの友のように、視聴者が思わず、
「納得いかない!」
 といいたくなるような、理不尽なほどにあっさりとした死の描写のほうが、本道というべきでしょう。フィクションじゃ登場人物の死は…ことにそれが、“善人”の死であれば、視聴者の悲しみと感情移入を誘うべく、思いっきりその場面を盛り上げるのが普通です。が、ここでは悲しみを覚える暇もないくらいに呆気ない死を見せられるわけで…ま、得てして実際の死とは、そういうもんなんでしょうが。
 死とか暴力とかをアニメでどう見せるか、ということに関しては、なかなかにデリケートな問題である上に、以前から僕は、リアルだとランドセルしょっててもおかしくないような子供が、アニメじゃ平気で戦いやってて、殺したり殺されたりするって、そういう作品が氾濫し、不思議とも思われずに消費されてる現状は、ちっとは誰かから一言ぐらいあって然るべきじゃないか、とか思ったりもしてたんで、今回のこれを語るのにも、慎重になる必要を感じます。これがオタク向けアニメなら、なにもそううるさくいうこともない(ほんとはそれじゃいけないんでしょうが、ま、オタクの多くはすでに義務教育くらいは終えてるだろうから、各々自分で判断できるだろうと考えることにして)んですが、これはあくまで名作劇場であり、メインの視聴対象は子供や家族であり、それらのことは頭に入れとかなくてはいけません。
 といっても、僕が問題にしたいのは、実のところABCたちのあっさり退場でも、かつてのファンティーヌのショッキングな没落ぶりや死のことでもないんですけどね。ガヴローシュが今回、原作から外れて生き残ったことのほうです。
 ぶっちゃけ彼を殺せ、という気にはなれないし、小さな子供が死ぬ、って事実を、同じく小さな子供に見せるというのはどうなんだ? みたいなこと考えたら、こういう原作改変は、まあアリだろうと個人的には思います。
 それでもなんかモヤモヤしてしまうのは、作品のテーマとして、善人だろうがなんだろうが無力に甲斐もなく死んでしまうこともある、というのを見せる一方で、原作と離れてコゼットとの絡みで重要キャラと化したガヴローシュが、“重要キャラであるがゆえに”生き残ったことに、それはつくり手の態度として誠実といえるのだろうか? との気持ちも、若干あるからです。
 いや、いっときますけど、個人的には彼が好きなんで、生き残ってくれてほっとしたのは確かなんですよ。キャラ主体で作品を見る限りでは、明らかに僕は、ガヴ生存フラグに喜んでます。でもそれって、NHKの大河ドラマで、歴史上じゃ明智光秀に殺された織田信長に関し、彼が好きだからって理由で放送局に“助命嘆願”する人と、どこが違うんだ? って話になるわけでして。作品のテーマに沿うならば、アニメのガヴローシュは、ファンティーヌ同様重要人物であるからこそ、なおのことあっさりと、無力に殺されなくちゃいけないはずなんですが。
 ファンティーヌではそれをやった。けれどガヴローシュではやらなかった。
 …という辺りでの、この「コゼット」スタッフの、死を表現するに際してのスタンスに、矛盾と揺らぎを感じたりもします。
 ただ、これもいっておかなくてはいけませんが、ファンティーヌは大人であったのに対し、ガヴローシュは子供だった、って事情が絡んでたんだろうってのは、容易に想像がつきます。
 これはスタッフになんらかの圧力がかかって、子供を殺すのはNGにされた(今回ABCたちが殺される場面で、一滴も血が出てこないのも、なんか政治的事情あってのことと感じられなくもありませんし)ってこととは本質的に無関係です。いや、そういうことがあったかどうかなんて、どうせ想像の域を出ないんだし、考えるだけ無駄だからなんですが、もし仮に僕が製作会社の重役だったとしても、視聴対象のことを考えて、
「子供を殺すのは駄目だ」
 と、スタッフに指示を出してたかもしれません。表現者は表現のためならなんでもやっていい、とは、僕は考えてませんしね。
 子供が死ぬ、ってのは、やっぱ大変に痛ましいことなんですよ。上でいったように、アニメの世界じゃなんか当たり前のように子供が戦ったり死んだりしてるから、感覚が麻痺してる部分あるけど、本来そういうことはあってはならないし、あってはならない、って気持ちを持ったり訴えたりすることは、重要だと思うんです。また、ガヴローシュの死を、彼と同じ年代の子供に見せることの影響というものについても、大人の責任として考えなければならないのは、当然だと思います。
 作品のテーマどうこうを問うなんてのは、そうしたことを考えなくていい立場の、いってみれば、贅沢で無責任な要求でもあるわけで。
 で、それらをじゅうぶんに踏まえた上で、しかし、あえていいます。この作品が「レ・ミゼラブル」である以上は、ガヴローシュは死ぬべきだった…と。
 正直、
「なぜ彼だけが?」
 という疑問は残ります。そしてそれはひょっとしたら、この「少女コゼット」の作品の欠陥としても、結局は残ったのかもしれません。
 まあしかし、あんまりあれこれいうのもアレですんで、とりあえず、原作とは違う流れができたことで、それをアニメ・スタッフがどう処理してくれるのかに、期待することにしましょう。
 ABCの友の理想は実現できませんでしたが、彼らは彼らの生を精一杯生きたんだと思います。ひとりの人間のやることとしては、それでじゅうぶんでしょう。
 少年の頃にルーマニア革命のニュースを見て、そこで戦う人々の姿に羨望を覚えた僕からすれば、アンジョルラスたちの短く、激しく散った青春には、眩しいものを感じずにはいられません。

 おそらく、身近な人の死を経験したことのある人はみんなそうだと思いますが、そのことで人は、逆に生とはどういうことかを、考えざるを得ないわけで。今回もバタバタ性急に大量の人々が死んでいく中、生き残ったわずかな人々…ジャン・ヴァルジャン、ジャヴェール、マリウスなど…は、この経験をかいくぐって今後の“生のあり方”というのを、自問することになるのでしょう。
 若いマリウスにとっては、正直自問するまでもなく、道はひとつしかないようにも思います。幸せになる…生きたくても生きられなかった多くの人々のためにも、自分の残りの人生を大切に使う、ということがそれではないかと。若い人が死んでいくのは、子供が死ぬのと同様に痛ましいことで、しかし、その痛ましいことがしばしば現実に起こっている、という経験の後では、命の可能性を粗末にする生き方は許されないでしょう。
 彼はそれでいいとしても、ヴァルジャンやジャヴェールみたいな、すでにして多くの人生経験を経て、ある意味“後戻りできない”人にとってはどうなのか…死を前にしたとき人は嘘がつけなくなる、って、なんかの本にあったように思うんですが、人が大量に死にゆく中、自分もヴァルジャンに殺されるだろうと覚悟したジャヴェールの口からは、これまで秘められていた過去と自分の想いが告げられました。
 両親が犯罪者であったこと、それゆえに自分は頑ななまでに法に従う生き方を選んだこと…彼のいう、人は決して変わらないという言葉も、テナルディエみたいな人間が実際にいる(しかも決して珍しい存在というわけでもなく)ことを思えば、ただの妄言とばかりはいえません。
 とにかくわかったのは、意外にもジャヴェールは、ヴァルジャンやテナルディエ、エポニーヌといった、あらかじめ罪を背負った人々と同類だった、ということです。
 両親が犯罪者であったというのは、エポニーヌの立場に近いですが、おそらくは彼女やヴァルジャン同様に、彼の親も貧しさから追い詰められて手を汚すようになった、“悲惨な人々”のひとりだったのかもしれません。そんな人を親に持ったがゆえに、生れ落ちたときから罪の意識を負わなければならなかったジャヴェールだって、同じく“悲惨な人々”のうちだといえるでしょう。
 彼が罪や罪人に対して冷酷なまでに厳格なのも、己の罪を自覚するため…つまり、潜在下での贖罪意識に突き動かされてのことではないでしょうか。それを考えたら、実は彼とジャン・ヴァルジャンは同じ人間だともいえそうです。なぜ彼が、あれほどまでヴァルジャンに執着するのか、どうやらここにきて、その理由がわかったようにも思えます。
 だとすれば、罪の意識に苦しむ彼の心を救えるのは、同じ人間であるがゆえに、ヴァルジャンしかいないのではないか…そして、彼に救われることがあったとき、つまり罪人によって自分の罪が浄化されるという矛盾に直面したとき、ジャヴェールはどんな行動に出るのか…。
 今回、ヴァルジャンに命を救われた彼に、なんらかの心情の変化があるのではないか、と感じながら、僕はそんなことを考えたりもしました。





↑ABCの友に合掌。できればクールフェラックだけでも生き延びてもらいたかった、と思う管理人に拍手でも。





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2011.03.22 Tuesday 17:42
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コメント

 助かったガヴローシュに対して、バタバタと死んでいったABCの友たち。彼らの死は理想を追い求めた故の死であり、単なる悲劇ではないと思います。思いますけど…
 政府軍の総攻撃の直前のクールフェラックとの会話から、マリウスがここで仲間たちとともに死ぬつもりだったことは想像がつきます。それゆえに、自分だけが生き残ったと知ったときの彼の苦しみや無念といったものはとてつもないものだと思われます。そして彼はそれを背負っていかなければならないでしょうし、その上で彼には幸せに義務があると思います。その辺のことはこのアニメスタッフなら、きっちりと原作を改変してやってくれるでしょうけど。

ガヴを死なせなかったことには、「大人の事情」が絡んでいることは容易に想像ができます。わざわざ原作改変してエポニーヌをコゼットより年上にして、死亡時には18歳になるようにしていることからも、戦いのなかで子供が死ぬというのはNGなのだろうと推測できます。私個人としては、この作品を第1話から観続けてきた身ですので、コゼットとガヴがまたいっしょに暮らす光景を見られるのは、大変喜ばしいことです。ただ、「レ・ミゼラブル」という作品本来のテーマを考えると、ガヴローシュの生存には疑念が残ります。原作は原作、アニメはアニメと考えるべきという意見もありますが、このアニメが「レ・ミゼラブル」という原作に基づいて作られている以上、原作から逸脱してはいけない部分もあるのは当然です。そして、もしガヴローシュが単に子供だから、主人公コゼットと深い関係を持っているから、というだけで死なせなかったのであれば、それはやってはいけない逸脱だと思います。ガヴの処遇に関しては、「レ・ミゼラブル」の名劇でのアニメ化が決まった時点で、製作者側にとっての最大の悩みどころのひとつだったのかもしれません。ともかく、ガヴを生き残らせたことが後々にこの作品にとって大きな意味を持つ展開を期待するしかありません。

 ジャベールの過去がここで明かされました。両親が犯罪者だったゆえに、生まれたときから罪の意識を背負ってきて生きていくこととなった彼は、本質的にはジャン・ヴァルジャンやテナルディエと同類の人間であったということになります。ただ彼は犯罪を、罪を徹底的に憎む生き方を選んだことによって、自ら犯罪に手を染めることはなく、法の番人として冷酷なまでの厳格さをもって生きてきました。彼のこれまでの言動、特にファンティーヌの件のことを考えると、彼は罪人は「人間」ではない、と考えているのではないかとさえ思えてきます。それほど罪や罪人に対して激しい憎悪や硬直した考えを持っている彼にとっては、法律こそが絶対の正義であり、それから外れたことに正しいことがあるなどと夢にも思ってはいないのでしょう。こう考えるとジャベールもまた、テナルディエと同様「ミリエル司教」に出会えなかったゆえに、自らの「罪」を拭い去ることが出来なかった人間のひとりなのかもしれません。彼自身が罪を犯したわけではありませんが、おそらく彼は罪の本質を理解することなく、罪を徹底的に憎悪し排除する立場に立ってきたはずです。「人は変わることができない。」という彼の言葉通りなら、生まれながらにして罪を背負っていた彼は、いくら贖罪を重ねても彼自身罪の意識からは逃れられることはないということになります。そして、そのことをどこかで理解しているから、彼は罪人に対して、ひいては自分自身に対しても冷酷でいられるのかもしれません。
 かつての罪の償いのため、自分に与えられた役割を果たすため、法を超えた価値を信じ贖罪を行うジャン・ヴァルジャン、法にのみ正義を見出しそれを守ることを自らの使命とするジャベール、そして正義や法に一切囚われず自らの欲望のままに生きるテナルディエ。一見全く生き方の異なる3人が、根っこの部分では同類の人間であるということが大変興味深いところです。
| こいくち醤油 | 2007/11/21 12:10 AM |
こいくち醤油さん。いつもありがとうございます。革命編の終了ということで、今回はひとつのクライマックスを迎えたかたちでしたね。

ABCの友の行ったことは、マクロ的な歴史観からいえば、歴史に対する反動に、誰かが成功や犠牲を度外視してでも、プロテストしてみせなければならなかった、という意味からも、決して無駄ではなかったと思います。それどころかある意味では彼らは勝ったのだ、とすらいえるでしょう。
…が、僕がコラントにいたら、せめてリーダーのアンジョルラスだけでも、逃がすようにしてたんじゃないかと…後々の革命につなげるためにも、彼は生き延びなければならないんですが…。
まあ、最後に仲間たちと死ぬ道を選んだのはいかにも彼らしいんですけど、人間としては愛すべきでも、指導者としては百点満点はあげられない、というのが、残念ながら僕の正直なアンジョルラス評です。彼はやっぱり陶酔型に傾いてしまった感じですね…それがいいところでもあるんですが。

ガヴローシュ生存については、記事内容が弁解めいたものになってることからもおわかりの通り、僕も少々歯切れの悪い思いがあります。
で、そこら辺りはもう書いてるので、それ以上はいわないことにして、ジャヴェールに関してですけど…そもそも自分が犯したわけでもない罪に苦しまなくてはならなかったんですから、彼の立場を思えば同情の念に堪えません。ヴァルジャンも罪悪感に苦しみましたが、少なくとも自分自身の罪の苦しみでした。
再犯を繰り返したジャヴェールの両親は、あるいは罪悪感とは無縁の人たちだったのかも…それこそテナルディエのような。だとしたら、親のそうした罪悪を子供が引き継ぐという不条理を負った以上、人生の最初から大きなハンデを持たざるを得なかったでしょう。そんな苦しみを子供のうちから味わうなんて、僕にはちょっと想像を絶します。彼の成長が歪んだものとなったのは、あるいは当然すぎる帰結なのかもしれません。

>一見全く生き方の異なる3人が、根っこの部分では同類の人間であるということが大変興味深いところです。

この三人の生き方は、ひとりの人間の、“こうであったかもしれない”人生の三つの事例と捉えることができるかもしれませんね。
ご指摘の通りにテナルディエは己の欲望に、ジャヴェールは法に代表される条理やロジックに、ヴァルジャンはミリエル司教と交わした、“正しいこと”をする、という、非常に曖昧な目標に生き方の価値を置いているように思えます。ヴァルジャンのそれが曖昧だというのは、いうまでもなく、正しさの定義なんて誰にもできないからで、実際彼は司教との約束の後にも、幾度も嘘をついて人を欺き、法的には悪とされることもしてきています。が、この作品の視聴者はそれでも、彼がやっているのが“正しいこと”だと確信できるわけで…だったら正しさとはいったいなんなんだろう? なんてことを考えたりもします。
ひょっとしたらヴァルジャンは、内心では不安でいっぱいなのかもしれませんね。自分が本当に“正しいこと”をしているのか、彼には絶対の確信はないでしょうし、常に自問自答と葛藤を繰り返しているのではないかという気がします。
欲望のままに生きるテナルディエにはその種の不安はないでしょうし、自己の判断のすべてを法律に委ねてしまって、ある意味では思考停止状態のジャヴェールにもないでしょう。
正しく生きる、というのは、不安と苦悩の多い生き方を選ぶことだ、ということなのかもしれません。逆にいうなら、不安や苦悩を知らずして正しい生き方はできない、ということにもなるのでしょうが。
| memento | 2007/11/23 12:39 AM |

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