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「∀ガンダム」における君主論・その13

2007.10.28 Sunday 22:03
 月面都市フォン・シティへの小惑星落下を防ぎ、ゼノア大尉から託された二発の核ミサイルの廃棄という、秘密の目的も果たしたロランは、キャンサーたちと別れ、ディアナとソシエを伴いながら月へと入国します。しかし、ディアナが留守にしていた間の月は、アグリッパ・メンテナーによって、戒厳令が敷かれていました。
 今回は第40話「月面の海戦」から第44話「敵、あらたなり」まで…物語の焦点である黒歴史の真相が明らかになるエピソード群について語ります。

 ディアナの月への帰還には、アグリッパとの会談という目的がありましたが、グエンがわざわざ月まで赴いたのも、現状では軍隊を抑えられないディアナに代わり、反乱の画策者である、アグリッパを交渉相手とするのが現実的だと判断したからでしょう。むろん、ウィルゲムを宇宙に飛ばし、実際に月へいくことが、科学力では地球人を圧倒していると認識していたムーンレイスに与える、心理的効果を考慮して、ということもあるでしょうし、それよりもなによりも、グエン自身が月の発達した文明や文化をその目で見てみたい、という願望があったからでしょう。
 しかし、グエンがどう考えたにしても、アグリッパの側に彼を迎える理由なり、メリットなりが特別あるわけでもなく、そのため招かれざる客であるところのグエンが、ギンガナムに取次ぎを頼んでも、あまりいい感触を得られなかったのは、この場合仕方がないというべきです。
 反対に、招かれた客…本人の意思とは裏腹に…であるところのディアナは、正式な段取りを得ずして、いわゆる“お忍び”のかたちで月へ戻るしかありませんでした。彼女を自らの命の保険として呼び戻したアグリッパに必要なのは、彼女の身柄…女王としてのその権威だけであって、そのため話し合いの必要を認めていなかったのはグエンに対してと同じです。要は話し合いを求める地球からの使者二人に対し、アグリッパは交渉の窓口を、完全に閉ざしていました。
 この「∀ガンダム」には実に様々なキャラクターが登場し、それぞれの魅力を作中で見せてくれますが、個人的にアグリッパ・メンテナーほど共感のしにくかったキャラクターはいません。おそらくはディアナにしろグエンにしろ、その必要があれば自ら事態の現場に赴き、積極的に陣頭指揮を行う、いわば状況における“当事者”のスタンスで一貫していたのに対し、アグリッパは上記ふたりの行動する君主を、批判し妨害する、“傍観者”のスタンスで終始していたからでしょう。
 その批判のスタイルも、彼の優柔不断な性格が露骨に反映してしまい、目的自体は大きく間違っていないといえるのに、あまりに方法のまずさが際立つかたちとなってしまっています。
 ディアナの不在中に国家を私物化した、“僭主”であるところの彼の行動に顕著なのは、その野心から発した計画に一貫性を持たせられないところ…状況の変化によって、右に左にとたやすく方針を揺れさせてしまうところにあります。
 ディアナの地球帰還作戦に反対していた彼には、この作戦が、ムーンレイス社会の変化の必要性から生じた、時代的な必然であると認識できなかったのですが、このこと自体は、保守主義者としては特に珍しいことでもなく、社会の秩序維持や安定を考えてのことである以上、さほど非難されるべきことともいえません。また、才能の欠如は必ずしも本人の責任に帰せられることではない上に、精神的に老化しきっている人間(肉体的にはそれほど年を経ているようにも見えないのですが)には、とかく変化を嫌う傾向が強いですから、ある程度は仕方ないことでもあるのでしょう。こういう人物が国家や組織の上層にいることは、ある意味必要なことでもあります。
 問題は彼の場合、保守的な老人には似つかわしくない大胆きわまることを、ディアナが月にいる間はその権威や国民への影響力を恐れてか実行できなかったのに、不在になった途端に実行に移し、そして移したはいいが、上手にやれていたとはお世辞にもいえなかった、という点にあります。あるいはディアナを月に呼び戻したかった、ギンガナム辺りが彼をそそのかしたのかもしれませんが、女王暗殺などという大それた計画を首謀するには、アグリッパという男は、あまりにも小心にすぎ、また、中途半端に善良でありすぎました。
 まず彼は、彼の主張を無視する女王ディアナと、彼女に従うムーンレイスたちを地球に放逐することで、月社会の安定を維持しようとします。地球で戦争が勃発した事実は、彼にすれば、
「ほら、見たことか」
 といいたくなることだったでしょう。このニュースが月にいるムーンレイスに与える影響を考慮して、情報統制を行ったのだとしたら、その手段はともかくとして、目的自体は良心的なものであったといえるかもしれません。
 一方で彼は、地球における戦争の拡大とディアナ暗殺を目論んで、ミドガルドやテテス、コレンといった人物を秘密裏に派遣し、ミランとも接触をはかります。ディアナがもともとは地球で永眠する、という私的な動機を持っていたことを知らなかったのなら、アグリッパが彼女を足止めさせるために、紛争状態を長引かせるのも、この際適切な対応だったでしょう。とはいえ、この動機を知らなかったがために、本来は無用であるはずの暗殺という手段に訴え、逆にディアナ側に彼の謀反を悟らせ、警戒を強めさせる結果となったのですが。
 叛意を悟られたのなら、なおのこと断固として、どんな障害があろうとディアナを葬ってしまうべきだったのです。が、フィルのクーデターが起こると、なぜかアグリッパはその方針を引っ込め、逆に生きたままディアナを月に召還するという、最悪な選択をとってしまいます。
 ミランと通じていたのだから、クーデターも事前に察知できていたはずなのですが、紛争の長期化をはかるためには、むしろフィルを支援するなりして、大いにこの機会を利用したほうが得策だったでしょう。なのにアグリッパの小心は、フィルの反逆を潜在的な脅威と捉え、月と自分を守るための盾として、今さらながらにディアナの権威を利用する手に出ました。当初の目的であった、“ディアナを地球に放逐する”というのとは、まるっきり逆のことをやっているわけです。アグリッパの密命でディアナ暗殺という汚れ仕事を請け負ったミドガルドからすれば、自分はいったいなんのために地球へ送られたのだ、といいたい気分だったでしょう。
 今日決めた方針が、明日にはもう変わってしまうかもしれない、というような腰の定まらない君主には、民衆は安心して統治を任せられるものではありません。状況に応じて柔軟に対処する、というのは、方針自体はそのままに手段を適切なものに変える、ということであって、アグリッパのこれは、単に状況に振り回される、というほうがふさわしいでしょう。
 女王を殺すかと思えばやめ、月から追い出したはずが自ら呼び戻し、という具合に、たったひとつの目的すら貫徹できない、彼の神経質すぎる性格は、反逆者としてはもとより、一国を治める君主としても、あまりに不適格というべきです。
 同じく君主としては適性を欠いているフィルでさえ、ディアナに反旗を翻すといったん決めたなら、その決心に従って目的を遂行していました。この点は彼の、軍人的に硬直した性質がいい方向に発揮されていたのでしょうが、その点アグリッパは、文官(シビリアン)的な悪い面がすべて出てしまっています。選択肢の中からこれと決めたものを、それが完遂されるまではあらゆる手を尽くし、容易なことでは他の選択肢へ乗り換えない、という不退転の意志が、視野が拡大しきった彼には欠けていました。
 おそらくはそれまで、女王ディアナの下す決断に文句をつけ反対を唱えるだけの、要は野党的ポジションにいたために、いざ自らが与党をやろうとしたときには、このような不手際が噴出する結果となったのでしょう。野党的に、政策の批判のためならば重箱の裏側までつつくような方法論に慣れきってしまった者が、自ら行動し、その行動に対しては批判を覚悟しなければならない立場になったとき、それまでの方法論を熟知しているがゆえに、過剰に他者の批判を恐れて結局なにもできないか、できても腰砕けになってしまう、というのは、現実にも実にしばしば見られることです。
 実際、アグリッパの野党的、傍観者的ポジションは、謀略を行う際にも、自らは月の首都ゲンガナムから一歩も出ることなく、ギンガナムやミドガルドといった他人に任せきってしまっていることでも表れています。もっとも、ある方面での自分の能力の欠如を知っているのであれば、人任せにすること自体は悪いことでは決してないのですが、それも結局は任せる相手の選択を誤らないことが重要となってきます。
 アグリッパの場合、共謀する相手にギンガナムを選んだことで、その選択眼の欠如も示していました。反対にギンガナムにとっては御しやすいという意味で、アグリッパは最良の共謀者だったでしょう。このことは後に彼がグエンと組むことになった際にも、同様のことがいえます。万事を人任せにできず、自分が直接コントロールしないと気がすまない、典型的なワンマン型君主のグエンは、他人と組む段になると、案外と人を見る目のないところを露呈していました。

 ディアナはアグリッパを、“実直すぎる人”といっていましたが、彼の、なにごとにおいても中途半端にしか徹しきれない気質も、おそらくは本来の彼が悪人というよりは、善人に近い人間であることによるように思います。
 フィルの反乱が起こったとき、そのことが月本国に影響を及ぼすであろうという、あまり可能性の高くない将来の危機を警戒して、彼がさっさとディアナ暗殺計画を変更してしまったのも、女王を殺す、というその行為に、潜在的な畏れとためらいを常から持っており、そしてそれが土壇場になって顕在化した結果ではないでしょうか。つまり、暗殺計画を進めながらも心の一部では、それをやめる口実をアグリッパは探していたわけです。フィルの反乱が、そのきっかけを与えたのでしょう。
 こういうアンビバレントを抱えた複雑な、そして臆病な人間が、己の責任のもとに人々を主導するには、相当に心理的プレッシャーが大きいはずです。この種の人間は下手に大それた野心など持たず、分相応のポジションで満足しているのが、安泰に生きる道だと思うのですが…まあ、誰にだってふと、魔が差してしまうということはあるものです。
 しかし、野党的な性質の持ち主であるからこそ、与党的なポジションではなかなか捉え難い問題点を指摘できる、ということもあるのは確かで、その意味ではアグリッパにも評価できるところはあります。当初ディアナは、地球帰還作戦という、自分で発動した計画の国家的、歴史的意味というものを、ほとんど理解できていなかったように見えます。物語の冒頭における彼女の、浅慮といってもいい無邪気さを見ると、作戦それ自体は歴史の流れに沿った、正しい行動だったとしても…また、アグリッパほどがちがちの保守派でなくても、これほどの国家的大事業を彼女に任せるのに、不安を覚えないほうがむしろ不自然に思えます。
 アグリッパの懸念で筆頭にくるのは、帰還作戦がムーンレイスの闘争本能を蘇らせ、“先祖帰り”を起こし、その挙句月の文明を滅ぼしてしまうかもしれない、ということのようでした。
 人間の闘争本能がなくなるなどということが本当にあり得るとして、数百年に渡っての平和が破られる事態に恐れを抱くのは、人間としてはまったく当然すぎるほど当然の反応です。特にアグリッパは黒歴史が“黒歴史”と呼ばれるゆえんであった、太古の文明が滅びた真の原因を知っています。月光蝶システムを備えた∀という、破滅的な超兵器が地球に眠っていることを知れば、地球人との接触によって、その目覚めを招くかもしれない、と憂慮するのも、これまた当然といっていいことでしょう。
 ならばなぜ、アグリッパが、これらの背景をディアナに黙っていたのかがわからないのですが、つまりは彼女を信用していなかったということと、こうした機密を保持することで、自らの政治的カードとしたかった、ということなのかもしれません。
 “黒歴史”という名で封印されたことからもわかる通り、太古の記憶は地球人、ムーンレイス双方にとっての呪縛となったようです。地球人は過去の歴史から、そのテクノロジーの使用を禁じることで、ムーンレイスは精神面の影響を防ぐ…闘争本能を意識的に眠らせる、というかたちで…ことで、それぞれに対処しました。アグリッパはその呪縛を呪縛と認識した上で、少なくともムーンレイスは、いまだ呪縛から解かれるべきではない、というスタンスにいます。
 が、グエンが、地球人がすでにテクノロジー面での黒歴史の呪縛から解き放たれるべきだと判断したのと同様に、ディアナはムーンレイスが、精神的に太古の歴史に影響をされつづける状況から脱し、自然のサイクルに進化と発展を委ねる段階にきた、と本能的に感じたようです。
 思うに、ディアナ・ソレルという人物は、グエンのように論理的、理性的に物事を考えるタイプではなく、直感的、情緒的に物事を感じ、その末で君主として自らのやるべき方針に従って行動する、というタイプのように思えます。考えなくとも自然と最善のことができる人物のことを、ごく簡略な言葉では“天才”と呼びますが、実に奇妙なことに、激動の時代にはこのような天才が出現する例が、たびたびあります。
 モムゼンだったかが、歴史というものはときとして、あるひとりの人物の個性によってすべてが動かされる展開を好むものだ、という意味のことをいっており、それを歴史のもっとも神秘なるものとしています。ディアナというひとつの個性によって月と地球を巻き込んだすべてが動くという意味では、「∀ガンダム」の物語には、この種の歴史の神秘が感じられます。

 いささか話が逸れましたが、黒歴史を封印したままにしておくべし、というアグリッパの主張は、現状維持をよしとする立場からすれば、まったくもっともといえるものです。現状維持が叶うならば、触らぬ神に祟りなし、でやっていくのが賢明であるのは確かなのですから。
 とはいえ、それが人の生き方として自然でないことは、たぶん多くの人が理解するところでしょう。少なくとも、現実を直視する意志のある人であれば、黒歴史で封印された…そしてアグリッパが相変わらず封じ込めようとしているふたつのこと、テクノロジーの追求と闘争心は、どちらも人間の本能であることを、否定はしないと思います。
 そしてこのふたつは歴史上、非常に密接な関係を持って、互いが互いに影響を及ぼし合ってきました。政治システムやその運用の技術は、紀元前の昔からほとんど変化がない(社会主義をほとんど唯一の例外として)のに対し、戦略や戦術については技術の発達による変化が、そのまま戦争の歴史となっています。
 そのため、政治史は現代の政治学においてもじゅうぶんに参考になり得るのに、過去の戦史はまったくといっていいほど役に立ちません。古代ギリシアの民主政体を研究して現代に役立てるのは可能でも、アレクサンドロス大王の戦いを現代の戦術に応用するなどは不可能です。
 この、戦争とテクノロジーの発展進化ということに関しては、石原莞爾が興味深いことを述べています。が、「最終戦争論」と題された彼の著書の内容を、長々とこの稿で引用するのは、大きく横道に逸れることになるので避けます。青空文庫に全文が掲載されていますので、ご参照ください。
 簡略にいうと、科学技術が未発達だった古代では、戦争の形態は歩兵中心の一次元的戦術であったのが、陣形という発想が生まれて戦術は平面的に…つまり二次元の段階に移り、航空機が戦争に投入されると、制空権の概念が生じて三次元に移行した、と、そういうことが語られています。これはテクノロジーと戦争の関係性を示す一例でしかありませんが、「ガンダム」作品中でMSとミノフスキー粒子の開発によって、戦争の形態が丸ごと変化してしまったことは、なにもただの空想ばかりではないということです。
 「最終戦争論」は石原が、昭和15年に京都義方会で行った講演に加筆した内容となっていますが、その講演での質疑応答で彼はこのようなことをいっています。
「生存競争と相互扶助とは共に人類の本能であり、正義に対するあこがれと力に対する依頼は、われらの心の中に併存する」
「闘争心は一面、文明発展の原動力である」
 平和を志す意志は尊いものですが、それならばなおさら、人間には戦いを好む傾向が本能として存在する、という現実から目を逸らすべきではないのではないでしょうか? 重要なのはその本能をいかに活用し、いかに戦争の被害がもたらす悲劇を、可能な限り最小限に抑え込むか、ということで、本来戦術とか戦略とかも、この次元で論じられるべきものだと思うのですが、それは置いておきます。
 同様のことはテクノロジーについてもいえます。技術の追求は人間の本能として厳然と存在し、したがって、テクノロジーそれ自体を否定したところで、食や睡眠や性への欲求を否定するのが無意味であるのと同じく、無意味でしかありません。これも本能の活用の仕方を考えるほうが、より現実的とはいえないでしょうか?
 以前の稿で僕は、富野監督はテクノロジーの問題に関して、あえて曖昧なスタンスを作中でとっており、問題の解答は視聴者に預けている、ということをいいました。僕なりにこの作品を見た上で得た解答は、
「戦争もテクノロジーも否定しきれない。だから、人間的な倫理を持って、それらと併存していくしかない」
 というものです。倫理、ということが重要になってくるわけです。
 グエンはともかくとして、ディアナが黒歴史の呪縛を解いたのは、倫理というものが、人間と人間の歴史には期待できる、との確信を、それまでの経験から得たからでしょう。考えてみれば、それこそが天皇型君主の存在意義でもあるわけです。
 グエンが、政治の場面において、ときとして大義を忘れ倫理を逸脱し、手段の目的化に走るのとは対照的に、政治家としては彼に及ばないディアナが、常に無意識のうちに指し示していたのは、
「政治には倫理が必要だ」
 ということでした。
 天皇型統治には、政治の論理を抑え込んででも、非論理的な“倫理”が優先されなければならない局面(キエルの行った建国宣言拒否は、その典型例でしょう)が、往々にしてあります。それは理性的な政治の在り方とはいえないのかもしれませんが、倫理とは本来、理性とは異なる次元から発するものです。
 殺すこと、盗むこと、奪うこと…これらがなぜいけないかを、ロジックで説明できる人が、果たしてどれだけいるでしょうか? それらをいけないとするのは、ロジックとは異なるなんらかの人間性が働くからです。その説明のつき難い、人間のポジティヴな性質の中に、倫理は存在します。
 女王の権威が衰えたとき、ディアナ・カウンターと月本国の政治がコントロールを失ったのは、政治に倫理が働かなくなったことの証左でしょう。天皇型君主がなぜ国家に必要なのかといえば、それはまさに、政治に歯止めをかけるためにほかなりません。
 要は、闘争心やテクノロジー追求も、それらが人の本能に属し、人の自然な生のために必要とあれば、否定することはできないし、否定するべきでもない…人が倫理を保ちつづけることで、人間性の一見ネガティヴな要素をも肯定することは可能なのだ、ということが、この作品では述べられているのではないでしょうか。僕の個人的解釈としては、そのことが作品のテーマとして、語られているように受けとれます。
 なにもかもを受け入れ、迎合する必要はないけれども、しかし、とりあえず倫理によって、“肯定”することはできる…それもまた、人間の備える性質なのだ、という主張は、僕には現実の地平から得られる、もっとも優れた希望だと感じられます。

 倫理を失えば、政治も軍事も暴走するしかなくなる、ということは、ギンガナム軍の存在にも端的に表わされています。彼らは戦うに際し目的を必要としない…それこそ、ただ戦うために戦う軍隊ですが、これが倫理を喪失した軍隊であることは、説明の要もないでしょう。
 第41話では、外交特使として白の宮殿のアグリッパのもとに、ディアナ、グエン、リリが赴くエピソードが描かれていますが、その交渉の最中にマヒロー部隊によるウィルゲムへの攻撃が起こり、白の宮殿もその巻き添えを食って、交渉どころではなくなります。
 戦争も、本来は政治に帰納されるべきものであり、軍隊がただの武装した暴徒と差別化される意義も、政治上の目的に適った暴力を行使する、という意味においてです。だから無制限の暴力行使は厳しく戒められますし、軍規や命令は絶対であらねばならないのです。
 ということは、文民であるアグリッパの統制の効かないギンガナム軍は、すでにして軍隊とは呼べないのですが、ディアナが月を統治していた頃には、曲がりなりにも統制ができていたらしいことから、ギム・ギンガナムのディアナへの個人的執着が、政治うんぬんを飛び越えて倫理や統制をもたらし、かろうじて彼の軍を“軍隊”にしていた、といえそうです。
 ディアナを失ったということは、つまり彼らギンガナム軍は、体裁の上からだけでなく実際上も、軍隊ではなくなったということになります。これが彼らに、ますます自分たちが無用の存在であるという、疎外感や無力感を強くさせることになったとしても、不思議ではないでしょう。
 疎外感や無力感ほど、人間を心理的に孤立させ、先鋭化や過激化へと走らせるものはありません。誰かに必要とされている、という認識さえあれば、人はなんとか自分自身でいられるのです。
 これはまったくギム・ギンガナム個人についてもいえることですが、ディアナに必要とされなくなった彼の過激化の方向は、∀の存在を認識したとき、それを月のマウンテン・サイクルから発掘させた、ターンXで抑え込む、というかたちで現れました。
 実際には∀を動かしているのはロランという、先鋭化にも過激化にもおよそ縁のない…ということはディアナに必要とされている、ということですが…人物なのですから、抑え込む要もないのですが、アグリッパはおそらく常にそうであったように、この点でもあっさりギンガナムに丸め込まれてしまっています。ゲンガナムでの騒乱収拾に、ターンXの投入が認められたことで、ギンガナムは、己の“倫理なき闘争心”を、十全に発揮する手段と機会を得たわけで、黒歴史の再来をもっとも恐れたアグリッパが、その可能性の実現にもっとも貢献したというのは、なんとも皮肉な話といわなければなりません。
 第42話でアグリッパの口から語られる、ディアナ暗殺計画の動機と目的は、その主張自体はなかなか説得力があります。とはいえ、その計画を完遂させられなかった彼がいっている、という事実で、すべて台無しになっているのですが。
 この手の、“理屈の上では正しい主張”というものは、その主張を裏づける行動や事実のないまま語られれば、果てしなく言葉だけが上滑りするしかありません。彼が白の宮殿で、その後は冬の宮殿で、得々と語る言葉は、それに適った行動をアグリッパ自身が示すことのできなかったこと、さらには現実にはその宮殿の外や月面上で、今まさに戦いが進行中である(ロランに対し、∀でターンXを倒してみせよ、と命令を下したのはほかならぬ彼です)ことと合わせ、もはやなにをも表すものではない、と悟る以外にないものでしょう。ミドガルドがここにきてアグリッパを見限るのは、僕からすれば遅すぎたといってもいいくらいです。
 平和を望み、ムーンレイスの闘争本能の目覚めを恐れ、黒歴史の再来を忌避する、基本的には善人であるアグリッパが、翻ってみると、地球の紛争を長引かせ、月にも騒乱を引き起こした事実は、ある意味非常に示唆的です。
 この世に災厄を為すのは、あるいは冷徹で悪辣な現実家ではなく、温和で善良な夢想家なのかもしれません。その夢想家が、己の夢想の実現のために極端な手段を用いるようになったとき、多くの人々にとって不幸な結果になる、というのは、残念ながら現実の歴史にも例を見出せることです。さらに厄介なことには、善良であるがゆえに本人はその罪悪を、まったく自覚できないという点でしょうか。
 だから女王は、アグリッパを殺すことでしか、彼を止めることはできない、と判断したのでしょう。

ディアナ「わたくしは地球で、花を咲かせるのにも血と肉が必要なのだと学びました」

 血と肉…現実認識のない夢想家の唱える理想も、一般社会においては徳となることはあるでしょう。しかし、政治の場面ではそれが、この上ない害となることがしばしばであり、そのために僕は、一般社会の観念や常識を、そのまま政治の世界に持ち込むような、いわゆるところの“庶民感覚の政治”なるものを、絶対に信用しません。
 政治の世界で倫理を保つというのは、現実から離れた理想をそのまま信じ込む、ということではなく、現実を知ることでやっと、内実のある…血肉を伴った理想となる、という類のものです。
 つまり、理想主義そのままではなく、政治に反映されるべき適度なリアリズムを基礎とした理想主義であらねばならないわけで、そもそも月の都市から一歩も出ないで他人の批判ばかりしていたアグリッパに、その類の理想もリアルも、求められるものではありません。
 ディアナが地球に降り、キエルに成り代わったことで戦争の現実を知ったことは、この意味で非常に重要でした。あれがなければひょっとしたら、彼女はアグリッパになっていた可能性さえ、あるわけです。
 もっとも、彼女が“天才”であるなら、いずれにしてもディアナは、最善の道へと辿り着いていたようにも思えます。
 やはり歴史が選ばれた個人に課す宿命や役割というものには、なにか神秘的なものを感じずにはいられません。





↑なんとか年内にこの「君主論」は完結させたいと思っている管理人に、よろしければ拍手でも。





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