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2011.03.22 Tuesday

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ef - a tale of memories 第2話「upon a time」

2007.10.22 Monday 03:06
 …あれ、意外だな。第1話の印象の芳しくなさから、てっきり2話目も、まともに見れたもんじゃないと思ってたのに、結構見れるぞ?
 けど、それも冒頭までで、結局主人公の少年が学校の屋上に上がって、自分の喪失感について語る場面ともなれば、濃厚にやりすぎ感が画面を覆うことに…。

 今回思ったのは、前回感想で僕がこの作品を“ウザい”と感じてしまったのは、僕が“映画”としてこれを見てるからかな、ということでして。
 映画館で上映される1〜3時間物の映画なら、それに描かれる内容も、その尺内で、可能な限り多くの観客に理解できるようなものでなくちゃいけない…“どう伝えるか”という演出本来の意図も、そこにかかってくるわけですが、アート系の作品だって、この、“時間的制約下の表現”って命題からは、本来自由ではあり得ないはずで。
 しかし、この「ef」で提示される、およそ30分弱の尺内では処理の追いつかない膨大な情報量を見ていると、つくり手側が最初から、“映画”であることを意識してないか、意識するのを放棄しているような、そんな印象もあります。視聴者に対しては、どうせ後でビデオで見返すだろうから、という…あるいは、もともとストーリーや、語られる(仮に語られるならば、ですが)テーマやメッセージなどを、視聴者は理解する必要はない、ということ前提にしての、この表現なのではないか、と。
 まあ、もはや映画も、少なくない人がDVDで見る時代になってるんだから、従来通りの“映画”の定義自体、古くなってんのかもしれないし、そうなると、必ずしもその定義に沿った映像作品をつくらなくちゃいけない理由はないわけだしなあ。それに、この種の作品で視聴者が見たがっているのも、つまるところは可愛い女の子キャラであり、その女の子が可愛い仕種をしたり、可愛い声で可愛い台詞をいったりすることなんだから、普通に“映画”である必要も、実はないのかもしれないし…。
 僕みたいな古臭い映画好きの趣味嗜好からいえば、この、映画としては態を成さないほどの、断片的サインのとっ散らかりようは、到底洗練された演出とはいい難いんですが、“映画とは違う、なにか別のもの”と捉えれば、これはこれでアリなのかも…もちろん、個人的にそれが受け入れられるかどうかは、また別の話になりますけど。
 要は、
「ちょっと、僕はパスさせていただきますよ」
 ってことなんですけどね。


 追記
 昨日の晩に眠れなくて、パラパラとある本のページをめくってたら、こんな言葉が目に飛び込んできました。

 ”創作をするということは、自己の概念とか美意識とかを表現することで、それを不特定多数の人々にしめして、理解され楽しんでもらわなければならない。
 表現した、というところにとどまっているのであれば、素人である。”

 上記の言葉をどう受けとるかは読んだ人に任せるとして、とりあえず、書き留めておきます。





↑さすがにそろそろ新番組を追いかけてくのがつらくなってきた管理人に、よろしければ拍手でも。





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