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さそうあきら「神童」

2007.07.08 Sunday 13:42
 ずいぶん久々のコミック紹介、それも以前一応さわりだけは紹介したことのあるやつなんですが、なにしろ偏愛している作品なだけに、ちゃんとしたレビューも書いておきたいかな、と。
 ま、「エマ」が終わったんで今、比較的記事を書く時間的余裕があるってのもあるんですけどね(だったらとっとと「君主論」進めろよって? ごもっともで)。

 正直さそうあきらといえば、この「神童」以前、つまり「愛が忙しい」とか、「俺たちに明日はないッス」とかまでは、
「なんか無視できんセンスあるけど、絵は下手だし、今ひとつ興味持ちきれんなあ…」
 って印象の強い作家でした。つか、今Wikipediaで確認してみたら、僕がまともに読んでるのって、上に挙げた三作品と「トトの世界」、「マエストロ」くらいじゃねーか。Wikiの記述には、
「『無垢な存在』と『世界』との出会いを主題とした作品が多い」
 ってありますけど…まあ「トト」は確かにそうですが、それ以前の彼の作品には、とり立ててそういった主題なりを見出すのも、ちっと難しいかも。
 個人的に「愛が忙しい」は、主人公が、彼が嫌っていた駄目親父に似通ってきてしまうという主題のアイロニーに、「俺たちに明日はないッス」は、作品が発表された90年代当時の若い男女の、トホホな恋愛とセックスの乾いた描写に、
「きっとこの作家って、ちょっと世の中を斜めに見てる感じの人なんじゃ?」
 って思ってたんですが。いや、なにしろ幼少期はインドで暮らしてて、んで、早大文学部卒なんていかにもな経歴持ってるだけに、たぶんにひねくれた文学的感性の人なんだろう、と勝手に想像していたわけでして。
 実のところはどうだかわかりませんし、そうだったとしても、そんな作家のパーソナリティーがストレートに作風に反映されるとは限らないのが、表現の世界ってもんです。少なくとも「神童」は、ひねた文学的感性とは一見無縁な、自然で瑞々しいエロティシズムに満ちた、美しい作品ですし。
 …でもどうなんだろうなあ。エロっつっても、オッパイやらお尻やらパンツやらブルマやらスク水やらがページを埋め尽くして、んで女の子が頬赤らめながらキャイーンとか嬌声挙げる類のじゃない、こういうエロは、ひょっとしたら今どきの人、特に若い男性には、今いちピンとこなかったりするのかも。実際、僕の周りの若い男女何人かに本書を薦めてみたら、女性は大抵よかった、面白かったっていってくれるんですけど、男性の中には絵がまず駄目で入り込めなかった、っていう、漫画のルックスの段階でつまづいちゃった人も、少なくなかったりするし。

 いいかげん作品の内容に触れとかないといけないんですが。
 前にも紹介しましたが、ピアノの天才少女成瀬うたの物語です。その、天才が主人公ってのと、クラシック音楽が題材であること、タイトルがモロに「神童」ってところで、同じく神童と呼ばれたモーツァルトを易々と連想させ、連載当時この作品について書かれた評論には、「アマデウス」を引き合いに出したものもありました。個人的な意見をいうなら、これも以前に書いたことですが、「アマデウス」は音楽を題材にしてはいるものの基本は宗教のお話で、それに較べると、同じ天才を主役に持ってきてはいても、この「神童」はもっと素直に音楽の素晴らしさを称揚する物語になっていると思います。
 クラシック音楽を題材にした漫画作品といったら、ほかにも「ピアノの森」とか、それこそ「のだめ」だとかありますけど、それらと「神童」とを分けるものがあるとすれば、僕が思うに、男性目線で見たらエロティックとしかいいようのない、主人公うたともう一人の主人公、音大浪人生(後に音大生)菊名和音(かずお。通称ワオ)との、特殊で微妙な関係に、それを求められるんじゃないかな、と。
 ちょっと話がずれるんですけど、あらゆる芸術表現って、その創作の初期衝動に、必ずつくり手の下世話なリビドーってのがあると思うんですよ。逆にそれがまったくない、頭や理論だけでつくられた“高尚な”作品というのは、表現的にどうしても匂い立つものにならない…「神童」の中でもワオが、音楽は生ものだから、ってなことをいいますけど、その生な部分を持たない作品というのは、受け手の本能に強く訴えかける力を持ち得ないわけで。
 だから、あらゆる芸術はエロティックでなければならない、と、僕は思ってたりするんですが、特に音楽は、文学や絵画などの他の表現手法よりもダイレクトに受け手の感性を刺激するものであるために、ダイレクトにエロティックであるべきじゃないか、という気がします。ちょい極言になりますけど、音楽とは“肉体的接触の伴わないセックス”だろうと。
 この作品の主役カップル(っていいきっちまいますが)、うたとワオは、なにしろ小学生と浪人生なんで、直接的肉体的に性行為に及ぶわけにはいかないんですけど、読者は作品を読めば、容易にこの二人のコミュニケーションが、“同じ音を共有する”という、なんというか、見方によっては一種の倒錯的プレイと呼べなくもない行為で成り立っていることに気づくはずです。
 むろんこれは二人が、どちらも優れた音感と、音に対する鋭敏な感性を持ってるから成立する“プレイ”であって、だから、そうそう簡単には余人が二人の関係に割って入ることはできません。ワオは音大に進学してからは、声楽科学生の歌音(かのん)とつき合ったりもしてますけど、彼女とは決してこの“プレイ”を共有しようとは(ごくありきたりな肉体的セックスはするものの)しませんでした。かのんが物語の最後のほうまで、小学生のうたに嫉妬しているのも無理のない話です。

 物語のラストでは、音楽家としては致命的ともいえる失聴という障害に見舞われながらも、そこから立ち直り、復帰コンサートを成功させて満場の拍手と喝采を浴びるうたと、客席から彼女を見ていたワオとが、お互いの名前を声に出さず唇の動きだけで伝える、という場面が描かれます。
 音を伝えることが本来不可能な漫画という表現で、音楽を題材にして描く、ということに対する、作者からのアンサーだとこれを捉えることもできるでしょう。僕はもっと下世話に、あの瞬間二人はエクスタシーに達したんだな、と解釈したんですが。
 音楽が感性にダイレクトに訴えかける表現であるから、ダイレクトに官能的であるべき、とすれば、その音楽の官能性を漫画でここまで見事に描いた作品を、僕はほかになかなか知りません。
 そういや、英語で感性的(sensitive)と官能的(sensual)は、同じsenseって単語の形容詞ですけど、本質的にエロティックであるべき創作表現においては、小手先の技術なんかより、この種の優れて下世話なセンスのほうが、よっぽど重要なんじゃないかという気がします。創作者にとってはそれを持っているか否かが、いわゆるところの“才能”のあるなしの差になるんではないかと。実際、さそうあきらよりよっぽど絵は上手いけど、この「神童」の十分の一も作品にエロスや官能性を反映させられない作家って、いくらでもいますし。
 まあ、「神童」をこういうエロ視点からレビューする人ってのも、あんましいないとは思いますけど、でもお奨めですんで、未読の方はぜひご一読を。





↑ちなみに映画は見てません。大友監督の「蟲師」といい、強烈に好きな漫画作品の実写映画化にはどうもがっくりくることが多いため、慎重になってる管理人に、よろしければ拍手を。





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