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「∀ガンダム」における君主論・その8

2007.06.13 Wednesday 18:51
 ウィルゲム・プロジェクトの成功をもって見事に復権を果たしたグエンでしたが、それは逆にロランの中に、彼からの離反を芽生えさせることになりました。ミリシャを始めとするグエン・サイドの人間たちが、ウィルゲムを中心とした戦力再編成を進める中、ロランはあえて、行方不明中のディアナをギャロップで探しに出かけます。
 今回は第26話「悟りの戦い」から第28話「託されたもの」まで。

 いまだディアナは君主として成長途中にあり、本来収まるべき月の女王というポジションに戻るまでに、地上での経験を積まなくてはなりません。いわば“修行期間中”であり、ソレイユで事態に当たっている彼女の代役であるキエルと比較すると、どうにも未熟な印象がしてしまうのは致し方のないところです。
 実際、この複雑な状況下で、キエルではなく本物のディアナがソレイユにいたとして、彼女の事態収拾能力の低さからいえば、むしろさらに状況悪化を招いていたのではないか、と僕には感じられます。交渉が滞っているために(またグエンが新たな戦力を手に入れたこともあって)、この際武力で地球側を圧倒し優位に立とうとはやるフィルを、かろうじて抑えていられるのも、キエルが天皇型君主としては、いささか越権気味に政治力を行使しているからでしょう。とはいえ、そのことがますますフィルや、彼の揮下の軍からの不満を招いているのも事実ですが。
 未熟なディアナが、いつのまにか彼女につき従っていたコレン・ナンダーとともに辺境の村を訪れ、そこでの祭りを体験するエピソードが、第26話では描かれます。
 コレンは第12話の地下坑道での戦いの後、まるでベトナム帰還兵の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を髣髴とさせるような、精神的退行を見せていました。彼のパーソナリティは退行しているようでもあり、また奇妙に達観の状態にあるようでもあり、いずれにしろ戦争の記憶をほぼ失っていたために、同行するディアナをディアナと認識できていません。一方では(彼女はキエルを演じているにも関わらず)、
「月の女王さん」
 と、なぜか彼女の正体をいい当ててしまってもいます。
 後の描写から見るに、登場時の過剰に好戦的な彼も、ストレス障害後の半ば痴呆的に穏和な彼も、どちらも健康な状態のコレンだとはいいがたいようです。両者の中間辺りが、本来の彼だと考えるべきなのでしょう。そもそも“ガンダム”に対する彼の異様な憎悪も、一種のパニック障害の症状と呼んでよいもので、それがはるか昔の、地球と宇宙移民国家間の戦闘で受けた後遺症であったのは明らかでした。
 そのことで、彼の主君であるディアナが必ずしも責任を感じる必要はなかったといえます。コレンは兵士であり、兵士が戦うのは義務であり、その結果として戦傷を負ったにしても、それは別に彼に限ったことではないのですから。
 とはいえ、黒歴史時代以前から戦っていた彼が受けた傷とは、いってみれば宇宙移民国家である月の歴史がもたらした傷であり、であれば女王として、月の国家の歴史を背負いながら数百年を生きつづけるディアナが、同じ歴史の傷を精神に刻んだまま、やはりはるかな年月を生きるコレンに、一種の原罪意識と、自らを重ねる気持ちを抱いたとしても、さほど不思議ではありません。
 あるいはディアナは、彼女自身が認識していたかどうかはともかく、なにかしらの精神的ストレスを抱えていたのだとも考えられます。そしてコレンの精神を癒すことが、彼女にとっても癒しを得る手段の一つだと、無意識に理解したのだとも。
 人工的な延命によって、半ば永久的に国家の象徴として存在させられるなど、普通に考えても、そのような立場で精神を疲弊させないほうがどうかしています。実際、後でわかることですが、ディアナが地球帰還作戦を決行した真意とは、地球で死ぬことでした。
 象徴としてではなく、一人の人間として当たり前に生き、当たり前に死ぬこと…それはなにも、ディアナ一個人の願望というのではなく、ムーンレイスの、いわば種族的願望でした。
 つまり、すでにムーンレイスは種族として進化の折り返し点を過ぎ、衰退期を迎えていたのでしょう。
 文明や社会とは、それ自体一つの人格と寿命を持つものです。機械化産業文明の黎明期にあって、空へ飛び立とうとする(グエンがミリシャの軍備増強をはかる際に行ったのは飛行機部隊の設立であり、失地回復をはかるために行ったのは宇宙船を飛ばすことでした)地球の人々とはおよそ反対に、月の人々が地球という大地へ降りることを求めたのも、彼らが彼らの文明の末期の近いことを、本能的に予感した結果だったのではないでしょうか。
 いってみれば地球は、ムーンレイスの“死に場所”でした。それを失策から戦場にしてしまったことが、おそらくはディアナ・ソレルの、最大の罪悪だったといえます。そして、戦争の現実を認識して以後の彼女の心に、その罪の意識がストレスとなって重くのしかかっていただろうことは想像にかたくありません。
 だから彼女は、過去の戦いによって傷ついたコレンを、回復させることで贖罪とした…そんなふうに僕は思えます。一個人が一個人に償ったというより、君主として、国家と民と歴史に償った…そういうことなのでしょう。
 コレン・ナンダーはこの「∀ガンダム」のテーマの一つである“歴史の痛み”を象徴するキャラクターで、それゆえに僕には、もっとも悲劇的なキャラクターに感じられます。

 前稿で僕は、グエンの政治的企画であるウィルゲム・プロジェクトが、地球人/ムーンレイスの共存を事実上成立させていた、と述べましたが、この26話ではそれに類似する事例にディアナが出くわしています。彼女が立ち寄った村で行われていた祭りでは、キース・レジェの仲介によってではありますが、同じく地球人とムーンレイスとがごく自然に協調していました。
 これを見てディアナが、両種族の対立は修復不可能なほど深刻な状態にはまだ至っていない、と安堵したとしても無理はありません。政治的企画であれ、民間の祭事であれ、なにかしら両種族合同参加による、共通体験的イベントでもあれば、対立は緩和される可能性がある、と。
 しかし皮肉にも、それと並行して物語はゼノア隊による、ロスト・マウンテンの発掘と核ミサイルの発見、という展開を見せることになります。なぜ皮肉なのかといえば、これらがやがて、グエンのプロジェクトや上記の祭りのように、地球人/ムーンレイスの、共通体験的イベントとして機能することになるからです。
 さて、コレンへの贖罪をもって一応の“修行期間”の終了としたディアナは、軌道上の本来使われてはならないルートであるザックトレーガーが、無断で使用されていた(コレンはそのルートで送られてきたのでしょう)事実を知り、帰還作戦の根本的な修正の必要を痛感したこともあって、ロランのもとを離れ、ソレイユに戻ります。
 戻った後でディアナがキエルと話をする場面がありますが、そこで彼女は、キエルには今しばらく女王の役をつづけてほしいと頼みます。アグリッパ・メンテナーの勢力がディアナ・カウンター内に潜んでおり、そのため信頼のおける部下を集める時間が、彼女には必要でした。
「二つの星を一つの国にするためにです」
 ディアナはそういいますが、その言葉にまるで冷水を浴びせるかのように、直後にマウンテン・サイクルで二つの星の種族が(核の脅威と戦いの中止を訴えるゼノアの叫びもむなしく)、激しく戦い合う姿が映し出されます。
 ゼノアの通信を傍受して駆けつけたロランが両者の間に入ったおかげで、なんとか戦いは中断されるのですが、スエサイド部隊隊長のギャバン・グーニーが確保していた核ミサイルの信管が作動してしまい、ディアナが、
「夜中の夜明け」
 と呼ぶ禍々しい爆発を、地球人もムーンレイスも目の当たりにします。
 彼らが避難する場面に、レッド隊の月の儀式のテーマがBGMとして被さっていたのは、これが“イベント”であるという意味合いからでしょう。そしてこのイベントが、やはり両種族の共通体験として、対立の緩和へと働きかけることになります。
 この核爆発が、前線で戦っていた者たちに著しい戦意の低下をもたらしたのは、その威力と恐怖とを実体験した立場ならば、当然すぎるほどに当然といえます。隊長を失ったスエサイド部隊のジョン曰く、
「ごらんあそばせ、この通りってね…笑うしかないじゃないすか」
 ということであり、ゼノアも、彼が確保していた残りの核をロランたちに預けて、秘密裏に処分してくれるよう頼むと、
「核の存在を知ったら戦う気がしなくなった軍人だ」
 といって、ディアナに戦いの中止を直訴しにいこうとします。その彼の護衛を買って出たのは、ミリシャでもっとも好戦的な兵士の一人だった、そしてこの核爆発によって婚約者のギャバンを失ったソシエでした。
 前線の兵士たちとは対照的に、この爆発を遠くから見ていたフィルは、まことに後方の司令官らしい、そして政治家(すでにこの時点で彼は、ディアナに代わってディアナ・カウンターの全権を掌握する意思を固めています)らしい見解を持ちます。戦術核を手に入れることで、現在の政治状況を左右できる、と。
 この、核の威力によってパワー・バランスを制するという、冷戦下で実際に行われた戦略は、第二次大戦後の世界に一応の均衡をもたらしました。それは歴史の事実として、僕らが認めるべきことでしょう。
 とはいえ、強大な兵器の存在が大国間の戦争を不可能にし、“平和”を実現させたことが事実なら、逆にそのことが今日、テロリズムの激化や頻発化といった、新たな混乱を招く原因となっているのも事実です。結局は同じところをぐるぐる回っているだけ、ともいえそうです。
 それにテクノロジーの発達が、“平和維持のための超兵器”の威力をいや増すのであれば、つまるところは我々が支払うべきその維持費やリスクといったものも、つり上がっていく一方なのではないのでしょうか?
 僕は第13話でのキエルの言葉を思い出さずにはいられません。
「同じように思ってもらうためには、『ロミオとジュリエット』のような悲劇が必要なのでしょうか?」
 これはミランに、ムーンレイスと同じく地球人にも様々な人間がいると指摘されて答えた台詞ですが、様々な人間がいて、同じように思うことがなかなか実現しがたいから、対立や争いは避けられないのでしょう。当たり前といえば当たり前ですが、しかし、あらためてそういったことを考えさせられます。それこそ、核爆発を目撃しても、そこから恐怖や、対立がもたらすであろう取り返しのつかない損失や、憎悪に任せるまま戦いをつづけることの悲劇や無益さを感じとる者もいれば、上記のフィルのような考え方をする者まで様々なのですから。
 歴史上、人類が戦争してはやめ、平和になったと思ったらまた戦い…ということを飽きずに繰り返してきたのも、国家や社会の主導的立場に立つ者たちと民衆とが、戦争と和平とを、大義名分のもとに使い分けてきたからでしょう。
 忘れてはならないのは、国家とか社会とか共同体とか…つまりは“人の数の集まり”においては、本来民衆が最大の権力者であるということです。ある程度の数の集団内では、なんらかの権力が発生せずにいられないものですが(現に人類は有史以来、実に様々な政治システムを考案しましたが、支配/被支配の権力構造の存在しないシステムというものは、ついに考案するに至っていません)、民衆と呼ばれる存在はその中で、常に最大のパワー、すなわち“数”を掌握しています。一般に権力者と呼ばれる少数者の権力的行為も、要は民衆の数のパワーをベクトル化しているに過ぎません。
 したがって国や社会が戦争に突入するとき、また戦争終結に向かうとき、そこに民意が反映されていないということは(別に民主社会でなくても)、基本的にあり得ないことです。
 ただし、あまりに民意を顧みない専制者、独裁者が統治する、いわゆるところの“暴政”と呼ばれるような政治体制においては、さすがに事情が異なりますが。ただ、これまた歴史を見ればわかることですが、その手の統治原理の根本部分で誤りを犯している政治体制が、長つづきした例もありません。
 君主として対照的に見えるディアナとグエンにしても、民意を無視する愚を冒さない点では共通しています。タイプ的な相違こそあれ、この点でどちらも君主の資格を見事に有しているといえるでしょう。

 いささか話が脱線しましたが、ロミオとジュリエットの死という悲劇が、モンタギュー家とキャピュレット家の和解をもたらしたように、二つの異なった社会や文化が互いに相容れるためには、結局のところ誰か、ないしはなにかの犠牲を伴う、共通体験としてのイベントが、どうしても必要なのかもしれません。
 しかしそれを必要とすることが、人間の変わらぬ救いがたい性として存在するのであれば、すでにギャバンや、ゼノアの部下たちが犠牲を払った後で、なおも戦いをつづけることに、どんな意味があるでしょうか?
 ゼノアがさらに自らの命を代償に、なんとかフィルの手に核が渡るのを防ぎますが、このイベントをきっかけとして、事態は変化の兆しを見せ始めます。フィルやミランのような後方にいる者たち、または月にいるアグリッパやギム・ギンガナムは別にして、前線で核の脅威を体験した者たちの心には、ここから徐々に、戦いに対する懐疑と危惧が芽生えたようです。戦時下の一般民衆代表の一人であるソシエも、敵に対する憎悪以外の感情を、このとき覚えました。
 この悲劇を防げなかったことも、あるいはディアナの不明の一つに数えられるべきなのかもしれません。しかし、これがあったからこそ、キエルが以前に行った建国拒否宣言のような民への呼びかけや、ディアナが地上で体験した“修行”の数々などが生き、それらが結び合わされ、ここにきてようやく民意と君主ディアナの意思とが同じ方向に向かって足並みを揃えた、ともいえます。
 仮にフィルが核をその手にし、パワーによって事態の沈静化をはかったとしても、その目的がいかにも軍事本位、政治本位であるために、リアリズムに適ってはいても、民衆の意思とはかけ離れているといわざるを得ません。
 そのために、上で述べた統治の原理からも乖離するしかなく、つまりは長つづきの期待できない平和ということになります。民意が常に正しいとは限らないのは当然ですが、民意の伴わない統治が事実上不可能なのは確かです。
 そして、核の圧倒的脅威を前にしたとき、人という小さな存在は、大義名分的な偽りをその心から消し去ってしまいました。戦いつづけることに恐怖する民を無視して、政治の論理でもって、相変わらず力による解決をはかろうとするフィルは、すでに暴政への道を歩み始めているといえます。フィルの政治の論理は、民に害を及ぼすものです。
 だからこそ、ここでディアナが動き出さなねばならないのでしょう。大義を見失った政治の暴走状態から、その大義と、民とを守ることができるのは、政治から独立した天皇型君主の彼女だけなのですから。
 信頼できる部下を集める余裕を与えられなかった彼女ですが、幸いにしてすでに、ディアナは君主としての成長を遂げた後でした。少し前にはキエルとの間に差があったのが、ソレイユ帰還の時点では変わりないまでになっています。いや、政権移譲を迫るフィルに、処刑も辞さない覚悟を示すなど、ある意味ではキエル以上です。
 二人のパーソナリティはここにきてほぼ同一の水準に達し、二人で一人の存在として、今後の事態展開の中心軸として機能します。ハリーの手引きで“ディアナ”としてソレイユから脱出したキエルの思考は、ザックトレーガーへ上がるため、南下してマニューピチに向かうという、ディアナのそれとまったく同じものでした。
 思えば地球帰還作戦による最初の火の手が挙がってから、この核の業火に至ったことで、混乱は当初の予想をはるかに越え、当初の、いささか偏ったパーソナリティしか有しなかった頃のディアナでは、収拾がつかないところにまできたともいえます。
 そんな状況にありながら、もはやディアナに迷いや恐れが見られないのは、キエルと合一し、彼女との差異が消失したことによって、人格的、能力的な不足が補われ、ついに君主としての完成を見たからでしょう。
 そしてここから、この「∀ガンダム」の真の主人公にふさわしい、状況を牽引する活躍を彼女は見せることになります。すでにしてディアナは、名君ではなくとも立派に明君と呼べる存在になっているのではないでしょうか?





↑今回はあまり天皇型、大統領型といった論旨の展開はありませんが、まあこういうのも一応ありだということで。よろしければ拍手をお願いいたします。


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